「おっちゃん、お地蔵さんどこにおるか知っとぉー」この地では幼稚園児でも神戸弁をしゃべるのだ。当たり前だが。かくれんぼみたいやなぁ。あの建物あるやろ、あそこの二階におまつりしてあるでぇ、とすぐ目の前のビルのお地蔵さんを教えてしまった。
「ありがとぉ」でもなぁ、まだ4時で早いからお供え物貰われへんかもしれんよ。それより、あっちのお地蔵さんはもう、お供え物配ってはるでぇ。行って貰っておいで。
子どもたちは、お線香を入れた袋をもって走りだした。
神戸で生まれ育った人たちにとっては、夏休みは祇園さんではじまり地蔵盆で終わる。これほど馴染み深いものはない。夏休み最後の大イベントなのだ。一説には1938(昭和13)年阪神神戸大水害で、数多くの方、そして子どもが亡くなられて、その子どもたちの供養にと兵庫、長田区あたりでは、お地蔵さんがたくさん来られたと聴いた。
私の母の姉妹とその子どももこの大水害で流され、そして行方不明となった。ただ赤ちゃんの泥どろのおぶ紐と郵便局の通
帳が湊川市場の端でみつかったと母に聴いたことがある。
今年の夏は雨風が続き、たいへんな被害をもたらした。「いままでに経験した事の無い」80歳なら80年間の間に経験した事の無い、幼稚園児なら5年間の間に経験した事の無い? それっておかしい表現だと感じないのだろうか。
今ではスマホのアプリで、Xバンドレーダーの雲と雨のながれを瞬時に観る事ができる。それは時系列でどこに雲が流れるかすら予測もできるから、自分の地域に豪雨が来そうだと分かるはずなのに。それを感じた心ある人が地域の防災無線で知らせれば、避難もできるだろうに。
「自主避難」なんて言葉も「いままでに経験した事の無い」と同じたぐいの言葉で、なんだか無責任で意味を持たない言葉だ。自主避難=自己責任と誰かが言いそうな、美しくはない日本語なのだ。
今もむかしも、豪雨はどこがで発生しており、それによって悲しみにくれる人がいる。
一人の人間ができることには限りがあるのかもしれないが、ただいっこの人間として、何もしないという選択が最良であるのかどうか、自分に問い直す日としたい、と思いお地蔵さんに合掌。由紀さおり
& Pink Martini「Puff, The Magic Dragon」を聴きながら。2014.8.23記。@神戸の下町
子が走る もらいし菓子を ふりながら あの子にあげて ほほえむ天使
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