「おっちゃん、吉井川反対に流れてるで。上流に向かって走ってる」と高校生の時から自転車屋さんの常連だった、今やおっさんが叫ぶ。大きな川にはいろいろな支流が流れ込む、どれが本流かを見極める、まぁ旅は脱線してもええんやけど。「また、まちごうてもた」と自転車屋さんの親爺さんが頭をかく。
『また』とは、去年の岐阜揖斐川サイクリングでも道を間違えたおっちゃんである。70歳といってもボケているのではない。ヨコで観ているもんとしては、これがそれで楽しい雰囲気なのだが。ぼくらおっさんに対して本人は申し訳なく気にしてるのが、かわいい。ひとつ曲がり角、ひとつ間違えてなんて人生ではよくあることで。
川を行く第三弾は岡山吉井川。一昨年は四国四万十川、そして岐阜揖斐川。サイクリングするのに道を思案する人がいるが、川を登ったりくだったりするのは、いいサイクリングコースに成る。今回は片上鉄道の廃線跡、レール道がきれいに自転車道に整備された道を走る。
山裾沿いを走る片上鉄道の旧線路だから、景色がいいのである。自動車道より高く、建造物があまり目に入らず、ええ感じで走れる。硫化鉄鉱を積んだ貨物列車をひいた蒸気機関車がここを走っていたと想像するだけでワクワクする。それはもう絵になったことだろう。棚原ふれあい鉱山公園では昭和40年代の車輌が動態保存されており、月に一度走行会もある。
そう今この時点であぁすごいなぁと思う一瞬も、数年経てばもう観られない光景かもしれないのだ。だから私は写真を撮る、そんな簡単なことが解らないのが人間でもある。1995年の地震のときも2011年の地震でも、そして今回の台風でも、見なれていた光景はすぐになくなるのだ。
「こんにちは」山裾から流れ出る湧き水に脚をひたしている子どもが声をかけてくれる。「おっちゃんもつかり、冷たいでぇ」聴くと町からこの湧き水を見に自転車乗って来たという。子どものころは、こんな自分だけの秘密の場所があるもんだ。
サイクリングは山登りと同じで行き交う者同士が、挨拶をする習慣がある。まぁ山でいきなり人に出会い、無言で立ち去られたら、ちょっとコワい。そんなもんである。写真を撮っていても「おっちゃん、どこから来たの」と自転車の小学生に聴かれた。
「あっちからこの道みたら、綺麗」と言われた。だが『あっち』というのは吉井川の対岸なのだ。
彼女はクルマでそこを通りながらいつもこの自転車道を観てるらしい。でもなぁ、橋がないもんなぁ。残念やわぁと別れたが、ちょっとせつなく。「今日は川が台風で綺麗じゃないからね」となぐさめもしてくれた子ども。アッチから観てみたいもんだと。岩崎良美「迷い道」〜『The Reborn Songs シクラメン』を聴きながら。2013.9.16@備前片鉄ロマン街道
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