どうしてこの世では、他の社会ではそれは毒であると認識されているものが、大手を振って流通してしまうのか? そのたびごとにその毒により人は命を脅かされ、いわれなき差別をうけてしまう。加害者の権利やコストとやらが優遇され、命をおびやかされる方はびくびくしている、ほんと不条理な話しだ。そんな澱みのなかから、国家に対する不信感が生まれる。
友人が講演をするので「中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会」に参加した。アスベストの危険性は認識されているのに、阪神淡路大震災のときもおかまいなしにアスベストが使われている建物が取り壊され、粉塵がまっていた。そのヨコで私も全壊のマンションから、取り出せる物だけは残したいと無我夢中で動いて息をしていた。
いままで幾度となく災害で、建物は解体されてきただろう。だけどアスベスト対策はほんとに取られて来たのかは疑問だ。有害物質が人によって悪さをしたりしなかったりするから、こうした問題はやっかいになる。それ以前に原因となる有害物質の近くに居たという証明もしなくては助けてももらえない。「この方が紙屋町交差点付近で被爆したことを証明してくださる方を捜しています」という広報を観て、子どもごころに恐怖感をもった。
証明してくれる人が居なければ、この人は一体どうなるのかと。
こうした問題は阪神淡路大震災でも起った。一例を言えば、義援金にしても住民票が全壊なり半壊した家屋の住所になければ、出なかった。当たり前だろうとおもうかもしれないが、住民票はご実家のままで、生活している学生、独身者や単身赴任者は多い。お金の問題ならまだいい、生死にかかわる問題なら、、まちがった個人主義にすすんでいる世の中で、お金だけで繋がっているドライな人間関係が続けば、どうなるのか。
この人が誰だか、だれか証明してくれる人はいませんか、と。
アスベスト疾患になる可能性はあなたにもボクにもある。中皮腫だけではない、エイズだって、放射性物質によって代謝がよく成りすぎて病気にかかることが、あなたにもボクにもある。ボクが地震でホームレスになったように、あなただって災害に遇い明日ホームレスになるかもしれない現実がある。想像して欲しい、そうなったからと言って、原因がわからなければ自己責任? そんな馬鹿げた話しはない。またそんなあほうな社会や集団など存在価値がないのだ。
子どもの頃こう言われた。独りで戦うのは疲れる、そのために信頼おける仲間がいるのだと。孤高のベートーヴェン弾きBruno Leonardo Gelber ピアノソナタ第8番ハ短調作品13『大ソナタ悲愴』聴きながら。2013.10.14@Kobe
|