あの頃、諏訪山公園の砂場には、髪の毛が白い女の子や、ターバンを頭に巻いた男の子や、青い目をした子が居た。誰かが山を作り出すと、隣でもその隣でも砂山ができた。そして誰かが、スキーのシュプールのような線を山に描きはじめる。きっと北欧の子どもだったんだ、と今では勝手に思っている。
そうすると、あの子は持っていたボールで、真似して山に道を描いていく。こちらはアジア系で、雪山なんて神戸では知らんのやし。それでも、観ていて楽しそうにみえる、だからなんだかおんなじ事をしてみたい。
そしてある子は、トンネルを掘りはじめるのだ。そしてボールをトンネルのなかに放り込む。周りに砂がかかるが、彼はおかまいなし。隣の山では、シュプールにボールを添わせて遊んでる。ボールが無いグループは、貸してくれという、たぶん母国語で。わからないなりに会話が成立して、ボールを貸すとふたつの山に道ができ、ボールを滑らせる。知らない間にふたつの山がひとつに合体するのだ。
山遊びに飽きるとそのボールをを使って、遊びだす。あの頃、転がしてボールをバットで打っていた子どもが居たが、今から考えるとあれは日本人や台湾人や朝鮮人の好きなアメリカンべースボールではなく、イギリス人やインド人の好きなクリケットだったんだと今ではおもう。
砂場では、今だに砂山遊びの子どもが居た。人が少なくなってくると、触られない山を、その子は自分のものにして、遊んでる。「それ、アレックスくんのでしょ」なんてとやかく言う大人はあの頃居なかった。アレックスと言うから、これを読んでるあなたは、白人を思い浮かべるだろうが、どう見ても日本で会ったら日本人?と。
あれは一体なんだったんだろうか? ボールを巡って、喧嘩で身の危険など感じたこともなかった。いや、小競り合いはあったかもしれない。だけど公園を横切る山手の女子校のお姉ちゃんにたしなまれたりもした。
他とはすこし違う事が気になる? 不思議な感覚なのだ。その両者には、聴いてええもんやろか、どうなん、そんな間がある。わからん言葉を言われても、何を言いたいのか、想像してみる間。あぁ、彼女は、これで喜んでくれた。でも図に乗ると、彼女はどこかへいってしまう。
オリエントの文化である鬼市をご存知だろうか? 他とは違うことを気にもむゆえに、顔や姿を見せずに、商品の交換をおこなう市場のことだ。置いてある大切そうな品を、かっぱらうわけでもなく、自分が欲しいと思ったらその品に見合う品を置いておく。そして交易は成立していく。山手小学校の大先輩で関学の教授の小玉
新次郎先生にそう教えてもらった。
鬼の餅割りの儀式を観ていて、固くなった餅を力自慢の男が鬼の形相で割ってやったら、周りの者はどうしたんだろう? 宴がはじまり、食べて喜ぶわなぁ、それが集団やもんなぁ、そんな事をおもう追儺式だった。小曽根真「Asian Dream」〜[So Many Colors]を聴きながら@KOBE長田神社追儺式2014.2.3
|
|