「はじめて一桁やぁ。父ちゃんは何番? 」23やなぁ、微妙やなぁ、24番ならええ番号なんやけどなぁ、代打の神さんやでぇ。「でも父ちゃんここお寺さんやでぇ」ほやなぁ、神様とちゃうなぁ。
そんなことを話しながら、除夜の鐘を鳴らした。阪神淡路大震災で被災してからこの地域に住むようになった。十数年前は鐘をつかせていただく度に、あぁなんで地震なんて起こったんやぁ、なんで、なんで、と。
もうすぐあの大きな地震から19年目になる。神戸の街は震災からキレイな一本道ができ、道幅だけが拡げられ、そして新しい家やビルが立つだけの街になった。ただ不思議なことは、そんな新しいキレイな街を歩いてもらうと解るが、人があまり居ない。
震災直後のあの歩いて東大阪の仕事先まで行った記憶を残そうと、時折西宮や六甲道まで歩く、何時間もかけて。最近やっと自分の居場所だった旧居留地界隈も歩けるようになった。
歩いてみて感じたのは1994年のころは居留地は日中もっと沢山の人が行き来していたと。ただ阪神淡路大震災で幸いにも被害の少なかった地域は、今でも見慣れた町並みであり、なぜだか人の往き来が多いのだ。なんでなんだろう。
新しく出来た町は、まだ町として成長していないのだ。人が敬遠して気がそこに集わない、人の気が感じられないのだ。それを創りだすのは人でしかない、ハコモノと言われるハード面
だけではないのだ。人の気があるから、人気がでて、人が集まるんとちゃうの。
わが子が、自分と同んなじくらいの歳なる頃、この神戸の街が人が集う町で有って欲しいとおもう。そんな事を祈りながら除夜の鐘をついた。キングストーントリオ「花はどこへいった」を聴きながら@KOBE闇夜は去った除夜の鐘2014.1.1
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