今、1月17日がきて、なんでボクハここにおるんやろ?とおもう。1月17日を境にボクの人生は一変した。そのことをいまさら悔やんでもしょうがないとはおもう。嫌なおもいは忘れたいと。
人間はあぁした極限状態のときに、本性がでる。人間だけではない。組織だってそうである。あの後された事はボクハ死ぬ
まで忘れないだろう、ただ恨み辛みなどはもうすでにない。
何のためにそんな事をするのだろう、と考えられないのが人間だ。その時だけの利得と自分さえ助かればよいのが生物の基本だからしょうがない。ただこの世界は若い世代に続いている。あんただけの世の中ではないのだ。おうじょうしまっせ。
ボクハ若いあなたに伝えたいのは、眠るときは、周りの安全を確認して欲しいということ。阪神淡路大震災で亡くなられた7割の方々の死の原因は圧死。家屋の倒壊や家具が襲ってきて、いとも容易く生き埋めにされるという事実。
あの時、電気はなかった。電池で動くラジオは情報源としては重要。ラジオはあのたいへんな中でも、役に立つ情報をいつまでも流してくださった。テレビは3月からは、オウム真理教などというテロ集団の報道で躍起になっていた。宗教という看板だけつければ、なんでも許されるわけでもない、単なる殺人犯なだけだ。そんなことなどどうでもええ。
オウムから直接、危害を加えられてはいないけれど、ボクはオウムを憎んでいた。生きるか死ぬ
かという状況の神戸で、そんな馬鹿な集団が宗教だと名乗っていること自体が、もう世も末だとしか言われなかった。難儀な人を助けるのが宗教とちゃいますか。
あんな非常事態のときも門を閉ざしたままの宗教団体もあった。その事も117以降、忘れられん。つまりは自分さえ良ければいいのだ。宗教団体なんて営利団体で、そんなもんかもしれない。
テロをやるヒマがあるなら、地震の惨状を少してでも手伝えよと。阪神大震災に便乗して手薄のところを狙うなどそんなヒマがどこにある、と被災した人たちの間ではささやかれてた。東北の震災を観て警察に自首したオウム犯人が居たが、あんたもう遅いで、今更と。
2013年1月17日午後1時半、ラジオではラジオ関西 AMKOBE、ラジオ大阪、和歌山放送、KBS京都が同じ放送を流していた。緊急災害時のためにだ。このうちの何処かに災害が起っても、他の地域がカバーしてくれる。それを聴いていたら、あぁ捨てたもんではないのだ世の中は、と涙腺が緩んでもた。
1.17の神戸には、たくさんの花が咲いていた。その花びらにかかれている、言の葉をよむたびに、人はすてたもんではないのだとまたもや涙腺が。
あなたにとって、忘れたいけど、いや忘れられん日はありますか。117、311、603、604、611、806、809、911、1023。
Carpenters「Yesterday Once More」〜[NOW AND THEN]を聴きながら。しとしとと涙雨が降る神戸の町で。合掌。@KOBE東遊園地2014.1.17 |
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