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(C)Copyright Mac Fukuda2010 |
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子どもと一緒に育っていると、あぁ自分の子どものときと同じ感覚なんだとおもう場面
と、そうかこれがいまの時代の感覚なんだとおもう場面がある。 前者は例えば、三叉路が私たち親子のおんなじ感覚。Y字路とも言うが、ぼくたち親子は「さんさろ、どっちみち」とよぶ。そして旅でそんな場面 にであうと、決まっておまえは「どっちの道が好きだ」とわが子に聞く。「こっち」その選び方は自分に似ている。ただ、たまに違う。そんなときは「とぉちゃんはこっち。じゃんけん」そして勝った方の道へと進む。その前に写 真を撮るのだけれど。 いまの時代の感覚を、まざまざと魅せられたのが「神戸アートフェスティバル」。子どもの美術作品を近代美術館で展示している。幼稚園児から小中学生の美術作品のテーマになっているものが食べ物に関するものが多いのに驚いたのだ。回転寿し、らーめん、ケーキ、ハンバーガー、パンからカツ定食なんてのもあった。それも数多くの作品が、食べ物がらみ。大人からしてみたら「子どもってこんなモンに興味あるんだぁ」と言うのがないんである。 私はお寿司の鯛の醤油入れを集めて、みかんを入れる網を漁師の網にみたてて、それに鯛の醤油入れをつきさして、海のなかの情景を作ったことがある。しかし、自分の食べるモノそのものを作った記憶はない。油絵を描くようになって林檎やバナナをえがいた記憶はあるけれど。 いまの時代は飽食の時代なのに、子どもの美術的興味ある世界は食べる世界なのだ。「作品は食べられへんし、創ってる最中にはらへるやん」と子どもに言うと、「食べたいからつくるんちゃうぅん」と。そうかなぁ、父ちゃんの時代は、それこそ鯛釣り漁船、ロケット、クルマ、船ヨット、ユンボ、気球とか、自分が欲しいモノを創ったり描いたりしてたよなぁと。 まぁ子どものいまの夢みたいなもんを探したボクが悪かったわけで、興味の大半が美味しい食べ物なのが、即物すぎてちょっとがっかりしただけ。でも大人の世界もおんなじだもんなぁと。そのあと、あたまスッキリ、いまの時代感覚をよびおこしてくれたのが、横尾忠則さんがライブパフォーマンス。三叉路を描くというので、それを魅せていただいた。あぁスゴイなぁと今は世界が分かれ道にたたされてるもんなぁと。 ひとこと「すごいなぁ」とわが息子。「あのおっちゃん、70歳を過ぎてんねんで」「とぉちゃんと変わらへんやん」「いやぁとうちゃんより若いわぁ」。元気をいただいた一日だった。まだ元気なおっさんを観ていたいという息子を「父ちゃん腹減ってもたぁ」と美術館から連れだした。 2010年2月6日記 1068 |
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