たとえどんな不幸な状態のなかにも、ちっぽけだけれどしあわせの芽は有るもんだよ、と。ボクのそんなちいさなシアワセは、ステキな音を聴くことだ。そしてその音が楽しくてしかたないくらいの気分なら、どんな状況でもしあわせだとおもふ、それが人生。セラビ、あの阪神淡路大地震の住み処もなくなり途方もない状態のなかでも、なぜだか音楽だけは響いてた。いそがなくてもいいんだよ、と。
ある音楽を好きになるのは、偶有性がなせるわざだとおもう。 2階3階が押しつぶされた全壊のマンションの自治会で催したコンサート。ザイラーさんのピアノデュオ演奏を聴いておもわず涙が出てしまった記憶がある。ピアノの音に癒されたのだ。そのとき感じた、音楽のちからはすごいと。そして、あの1995年の神戸でなぜかバイオリンの生だとおもう音が河川敷からよく聞こえていた。壊れた世界とともに今でもおもいだされるのだ。あの曲はいったいなんだったのか、と。
たまたま出逢った音楽を好きになってしまうのだ。いくらこの人はスゴいんですよ、と言われてみても自分にはしっくりこない音楽があるのも事実。そして、あるときふって湧いたみたいに、ある音楽や、奏でる楽器、その演奏家を好きになるのだ。その時は、なんで今まで聴いた事なかったんやぁ、、、と残念がり、そして知ったことを喜ぶ。この瞬間が不思議だけれど、ちいさなシアワセなのだ。あぁ生きていてよかったとさえおもう。
可愛い女の子が、ステキな音で楽しませてくれる小学生向けのコンサートに行った。遠藤真理さんのチェロと三浦友理枝さんのピアノディオ。音にどんな味付けをすれば、聴いている人はどんな感情が湧くか、そんな楽しさを子どもに教えてくれるコンサート。
「音がたくさんあるだけで、おんなじなのにちゃう」おもしろいなぁと子どもが言う。「♪は楽しいとかおもわないのに、踊っている」奏でる人の「こころ」が入るんだよね。息子とボクはもうファンになっていたのだ。
家に帰って息子はロールピアノをひとり弾いて楽しんでいた。いろんな音を出しながら。きっと彼も、どんな状況でも音を楽のしむ余裕さえあれば、あとはなんとかなる、そのことを感じてくれるだろう。自分の好きな音楽を聴くことだけで、ちいさなしあわせが訪れることを。ステキなコンサート企画ありがとうございました。9.23記@Kobe
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