赤ヘル旋風といわれて終盤に逆転するカープをワクワクしてみていた少年時代。勝負に勝つためには、確かに資本、お金が必要で市民球団のような資本のないチームはそれならば勝てないのか? 野球が華やかだった頃は、そうではなかった気がすこしする。8月6日はカープは負けてはいけない、その心意気に涙するのだ。勝負を通じて感動を与える、ドラマが有るって意味がわからなくなってしもうた人が多くなってきたのだろう。2010年のその日、カープ・前田健太投手は「8月6日は負けられない日」と4対1でジャイアンツに圧勝。いつもはアゴの調子でも悪いんやろか、とおもてたその雄叫び姿に感動した。
人間ドラマのある試合を人は観たいとおもう。 9人の優れた選手で構成された志しあるチームが勝つのであって、9人の高額な年棒と人気選手で構成したチームが決して勝つわけではない。3日間続けて試合を作っているパリーグのある投手をGS球場で観た。周りはやる気がみえない野手のなか、高校野球とちゃうんやから、いやプロやからこそ、「なんでこの人は心が折れないのだろうか」と感動した。勝負って、気持ちの部分あるやろ。それが球場のファンにも伝わるんやで。お金=幸せ=勝ち、みたいなあほうな論理がまかり通るから、世の中おかしなことになりよる。打てないホームランバッター=高給取り=幸せ?!
例えばファンでもそうだ。球場に行きもしないで札束持った「俺は大ファンだ」なんてド厚かましい人が意見する。今年もファンが球場に行かなくて身売りする球団があるらしい。不思議なのはホームチームが座席収入を全て得る、システムとしておかしくはないか。また勝つ試合だけをみるのがファンなんだろうか。試合観に行って、たまたま勝ちよるのとちゃうの。ファンとは実像を観てこそファンやろ、それともプロセスカットで勝った事とスタッツだけが重要なん、不可解。将棋ファンのボクと息子は、プロ棋士の対局をオープンな場所で観られる唯一の試合と子ども将棋大会「JT将棋日本シリーズ」に今年も参加した。
「今年もおるで、カープ少年」と関西で赤い帽子を堂々とかぶる少年をみつけ、お前とおんなじ野球と将棋好きやなぁと。楽しいから将棋をしている、それには勝ち負けがある、一瞬のミスが命取りになる指し手もある、それが人間。それを笑いながら子どもは楽しんでいる。ながい試合もある、人垣の中でもがく小学生の顔は観ていて頼もしくおもう。真剣な勝負師なのだから。そして勝負の世界で、相手をおもい、自分のなにが足りなかったのかを知る、これはコンピュータ相手では感じられない。相手が強すぎるからと、退散もできないし、リセットもきかない。
コンピュータゲームは、とことん相手を倒すことを第一目標に考えられプログラミングさせれているわけだから、そこには勝ち続ける事の人間としては下等な嫌らしさ、ここは負ける所の潔さや価値観の違いなんてものは加味されない。完クリしたコンピュータゲームを子どもが二度としないのも、おもろないからや。つまり勝った人を第三者が観て、美しいとはおもえない、共感できない。それでええんだろうか? 勝負といっても、そこに人間の感情があるからドラマが生まれ、人はそれに涙するんとちゃうん。ついに将棋の世界もプロ棋士に、コンピュータが勝ったというニュースが先日流れていた。それは勝負の試合といえるのか。
「負けました」投了。その瞬間は、あぁとだれしも嗚咽する。ボクなんか頭をかきむしりたくなる。自分から認めなければいけない潔い負けを。「ありがとうございました」そんなカッコええ終わり方をする勝負、それが日本の勝負なのだ。叩きのめすだけが、勝負ではない。息子は三連勝しなければ次に進めない試合に最後負けて、ほんま悔しそうやった。「でも楽しかった」と。2010.10.23@JT将棋日本シリーズ子ども大会・プロ公式戦
さだまさし 「むかしの子供達は」を聞きながら
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