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(C)Copyright Mac Fukuda2010 |
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「うしろ暗いは鬼のえじき」と言うことばがある。人の道にはずれるような事をしていると、鬼に食べられてしまうということである。凶暴で強い鬼となると、そんな後ろ暗い人は自分より強いものにはうなだれるのが常だから「あぁもうだめだ」と。人を戒めるの役割を鬼がしてるわけだ。でも考えてみるとこの鬼は、どうしようもない人間というよりやからを処分してくれる役なので、まっとうな人にとっては「ええもん」味方なのである。
なんでだろう、と鬼好きなので調べてみると。「鬼」と書いて「もの」と読み、神とも魔ものとも判断つかないものを表現すると。はじめは鬼は悪いもの、災いをもたらすものといった意味ではなかったのだ。社会の秩序を壊す人を「鬼のような人」とも呼ぶけれど、100%嫌われているわけではないわけだ。嫌われながらも歓迎されている鬼、この二面 性が社会には必要なのだろう。どこかの政治家にもいるけれど、わたしには嫌われながらも良い方向へとむかわせようとする鬼にみえるのだけれど。 並はずれたちからを発揮する鬼、仕事の鬼なんて言葉もある。その昔はかっこええコトバだった。仕事の鬼なんていまでは流行らない、サービス残業の多いだめな企業としかおもえない言葉ではあるけれど。年のはじめは、鬼がなぜだかでてくる。「追儺式(ついなしき)」がそうだ。鬼が逃げだし、世の諸悪をその鬼がしょって逃げ出して行く姿に、人は拍手する。そのあと、鬼が幸福を連れて来てくれると感じているから。だから伝承芸能としていまの世も語り継がれているのだ。 「あの鬼はこわなぃなぁ」「うれしそうなお面やなぁ」そんなわが子のTwitter・つぶやきを聞きながら鬼を観てると確かに、ええもん(味方、助けてくれる人)にみえる。黒い五鬼を追い払うのが、白い三鬼。その白い鬼を案内するようにこおどりするのが子どもが演じる赤い小鬼、これがおもしろい。この鬼たちが今年の難儀な事や災いを持って行ってくれる。それを観た観客は「あぁ今年もおだやかに過ごせれば」と念じる。私もあの白鬼のように、すこしでも社会にお役にたてればとおもう。 はじまるまえから、2010年はたいへんだぁと言われ、年始早々くらい方向の発言をする人には鬼のえじきになってもらって、あかるいええ年にみなさんしましょ。 「妙法寺追儺式(ついなしき)」2010年1月3日に参加。当日は 国宝毘沙門天のご開帳もあった。子どもと鬼から授かり物の餅をいただいた、なかには五円玉 、息子は喜び「これで今年はかねもちだぁ」と、そうなりますように。延暦寺のように大晦日にこの追儺式があるところや、旧暦のお正月春節、節分にするところもあります。神戸では節分にあたる2月3日「長田神社追儺式、鬼追い」が有名です。2010年1月3日記 1126 |
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