価値ってなんやろう?って考えたことありませんか。私の子どもにとっては53番の赤いリストバンド、使った切符、がちゃがちゃから出て来た0系新幹線とSL、
Bトレイン、チョコエッグから出て来たクルマ、おもちゃのカンズメに絶大なる価値があります。それはお金には換算できないしろものなのです。お金は焼けてしまえば、価値ゼロでなにも残さないけれど、大切なモノは焼け残ったモノでも大切にしている人がいます。阪神淡路大震災で、それは痛いほど知らされました。目に見えないもの手に取れないものに価値を信じられるからです。
53番とは阪神タイガースの赤星選手の背番号、そして息子が一番好きな野球選手です。使い古した切符も、それぞれに「広島」「長崎」「甲子園」と意味ある言葉が書いてある。それが重要なんです。がちゃがちゃはおかあさんにとっては目の敵、百円入れて回すあれです、なぜだか観察してると子どもに甘いおとうちゃんと子どもががちゃがちゃしています。甲子園球場へ行く途中のダイエーで、毎回阪神を占う意味でもがちゃがちゃしてます。チョコエッグもおかあさんは買いません、お父さんが買う商品です。だけどなぜか、キョロちゃんはおかあさんが買ってくれます、ふしぎです。
甘やかしはいけないのでしょうが、親と子としておんなじ感覚を持って欲しいとぼくはおもてます。だから「ないしょやでぇ」とがちゃがちゃを子どもと同時体験しております。隠していてもかぁちゃんには見つかります、それをみつけるのは女の人のカンです。ぼくもこのカンで、女の人たちからえろう追求された記憶がさんざんあります、が内容は記憶にございません。まぁそのときはそのときで、わかりあえてたと私はおもうのですが、男とおんなの仲ちゅうのはわかりまへんなぁ。
カタチあるもの、いつかは消滅する。私は震災で全壊という我が身の光景を見たときにおもいました、なにをしても人間のちからでは抑えきれないものは存在すると。だけど、人として意地でも大切にしたいもんもある。子どもとおんなじ時間を持つことは、なにごとにも換え難いゆたかさがあります。親子で、北びわこSL号に乗りに行き、そして長浜の海洋堂フィギュアミュージアムで頭くっつけながらおもいました。一瞬、わが子が幼い日の自分とだぶるような、そんな不思議な感覚にとらわれました。
「あ、そこにボクがいる」と。2009年2月8日記
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