神戸の街は、1995年1月17日から時間が止まってしまった感じがするのは私だけであろうか?街にははなやかなお店やおしゃれなお店が欠かせない、そして神戸は神戸らしさというのがあった気がする。資本と言う名のお金を持つ所に食いつぶされていくのはどこの街でも同じ。けれどその土地には文化がある。神戸スタイルがあるから、そこに住み、そして個性が生まれるとボクは思う。
街を歩いていて、あぁコヤマカメラも星電社もなくなってもた、とまずセンター街で驚き。あれぇ、ここもお店がかわったと。変わることは悪いことだとは思わないけれど、どこの街でも同じ雰囲気はいただけない。神戸の街はBARと喫茶店が多い街だった、そうパリのように。高校生のボクはそのBARや喫茶店に行きたいと思っていた。町工場をやっている家へ遊びに行くと親父さんが、近所の喫茶店「ホワイト」に連れて行ってくれた。それだけで、嬉しかった。
「喫茶ホワイト」は純喫茶時代の神戸地域の喫茶店のチェーン店だ。震災当時までは兵庫の工場街にあったが、今ではもう見かけなくなった。連れて行ってくださった町工場の親父さんも今はいない。はじめて神戸らしいBARに連れて行ってくださったのは、佐本進先生だった。小林ビルに先生の事務所があり、その地下にあるBARへよく連れてってくださった。
蝶ネクタイ姿のバーテンダーさんはまぶしかった。かっこ良すぎる、絵になる人だった。お酒のおつまみのサンドウィッチが美味しかった。それからボクのBAR好きが始まった。朝日会館のなかの立ち飲みBARが、安月給の身にはありがたかった。そしていつかある程度のお金が払える身になれば、佐本先生が連れて行ってくださったBARで佐本先生を想いだしながら飲みたいと。だが、その時は無情にも来なかった。
バーの切り絵で有名な成田一徹さんが「バーは僕の魂の置き所」と語っている、いい言葉だ。けれど、魂を置いていた場所がなくなるのはつらい。
あらはえ、雨の中好きなBAR「Arthu De Rimbaud」 が幕を閉めた。バーテンダー市野雅彦さん、お元気で。神戸の街も元気になりますように。2009年7月1日記
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