「桜まだ咲いてるでぇ」今年はさくらも喜んでる。長い時をさくらを観にくる人とすごせたからね。「今日雨やって天気予報言ってたのになぁ、桜散らなくてよかった」
ほら、サイクリングに来てよかったやろ。
自転車にめざめた息子と毎週のようにサイクリングで訪れるこの公園も、桜の季節になると人が集う。なんだか、ええ具合なのだ。人に出会わない冬場のサイクリングに比べると、人が桜の樹のしたでお酒飲んでひっくり返っているのを見るだけでおもしろい。桜のしたに集う人たちを観ているとこっちまで、なんだかうれしくなるのはなんなのだろうか。
今年は開花が早いと言われて、お花見をいつにするか迷ったひとも居るようだ。明日は雨です、と言われて晴れたのに怒っている人と同じ。自分は何をしたいのか、そのためにその情報はためになっているのか? それを確かめもしないで、「今年の桜は早い」といわれればそれでは「困る」と勘違いしている。
もう来年の桜を観れるかどうか、そうおもえば今なにをしなくてはいけないか、わかる。別
に桜が満開であろうが散っていようがあまり関係ないのだ、ほんとのところは。それよりも、大切な人と桜を観る時間が幸せなんだ。それすらわからない人はかなしい。「あの桜はきれいだった」そのおもいで、あの時めでた桜は大切な桜になる。
「去年来たときは、ちっこい自転車やったなぁ」誕生日のお祝いに、おばあちゃんに買ってもらった自転車乗りながら、桜の下を走り回る。
「犬が追いかけてきたぁー」犬も走りたいんとちゃうかぁ、と言うと。「桜が咲くと犬も元気になるんかなぁ」ほうか、犬はお前と遊びたいんやぁ。「こんにちわ。すいません追っかけたりして」そう挨拶してくださる人がいるだけで、なにより楽しい。
「こんど犬が追いかける目印にこいのぼりくっつけよか」そしたら猫がこんどは追いかけてくるで。「ほんま、そぉなる?」にゃる、にゃん。2010.4.4記
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