「次に登る人のために」幼少の頃はゴミ拾いをし、ボーイスカウトでは崩れた人道を整備したりした。山やテントを張る所は神聖な場所であり、山の神さんから使わせていただいているのだから、よごさないのが当たり前だのクラッカーだったのだ。沢山割ってしまった薪を次の人たちに使っていただこうと、ひとまとめにして石のかまど近くに置いていたりもした。「明日に架ける橋」Bridge
Over Troubled Waterなんて言っていた。
「恩おくり」Pay It Forwardというステキな言の葉があるが、自分たちのためでなく後から歩いて来る人のためにという考え方が、どういうわけか団塊の世代にはなかった。だから我がが良ければ、それでええ式があまりにも世の中にはびこってしまった。ある団塊の世代の方と松茸狩りをしたことがある。その方々は根こそぎ全部獲ってしまおうとする。また来年のために残しておかんとあきませんよ、と言っても「どうせ誰かが獲るんだから」と。次の年その場所からは松茸は、二度とはえてこない。
「逃げ切り世代」の数が多く、競争原理で生きてきたから仕方がないではすまされない考え方。その松茸山をガイドしてくれた方は苦笑まじりに「棺桶に片足突っ込んだエエ歳された方がみっともないなぁ」と。それに対して「先祖帰りで、子どもみたいなことしてしまいましたなぁ」と笑っていた犯人たち。懲りない世代なのだ。「子どもが怒るでぇ」とある子どもが言い放った。笑うだけのこの方々がつくった、いや壊したのがいまの日本社会のあり方なのでしょう。
天橋立の炎の架け橋を観にキャンプに行った。「なんでこんなに網が落ちてるの?」百円均一で買った網だから大切にせんと捨てて帰るからやろなぁ。日本円でビンタして東南アジアの人たちに百円で作らせて、自分たちだけが儲かれば良い式の団塊の世代の考え方。戦争のときとなんらかわらん。「海や山がよごれるのになぁ」こんなことしたおっさんおばはんは、すぐ死による。身勝手でこんなことが当たり前と育ってもたら、そのうち世界では相手にされん人になるねんで。それをよー考えて自分らでしあわせな世の中にしていかんとなぁ、明日への架け橋やと子どもに言い聞かせた。
「きれいやなぁ。ほんま橋やなぁ」夏は炎があうなぁ、お迎えの火みたいや。「花火したいなぁ」そっか、そっちの炎なぁ。2010.8.1記@京都宮津
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