中秋の名月だった。月を美しいとめでる心とともに日本人が秋を感じるのは、薄と萩の花なのだ。その美しい姿を観ながら、人はなにをおもうのだろう。そのおもいの中に踏みつけにされた人の心の憎悪がなければよいのだけれど。人は自分さえよければ、他人を踏み台にした事など忘れようとするのが凡人だ。
すべての人間は同じであるはずなのに、ある世界では同じではなくなる。人間にステイタス、ランクができあがる。ばからしいことに。世界の中心は私なのだ、だから何をしてもよい、人さまの土地を盗り金持ちになったのだ、それでいいのだ。それがなんのとくになり、それで本当に幸せになるか考える暇もなく人生を終わる人がいる。
人を信じられなくなると、友人隣人のたんなる一言に敵意を抱くようになる。それを友も感じる、憎悪の増幅がはじまるのだ。憎悪が争いを生み戦いが生まれ、その結果
世界はどう展開するかを考えられない。想像力、ここで勝ち続けたら、次に何が起こるか、その次はどうなるか。物語り、歴史それが解らない人が多すぎる。墓石に書けるのだろうか、私は次世代にこれを残したとおもいます『憎悪』。
憎悪を生み出した人の責任は浮かばれないくらい重い。 墓場をめぐるのは、おもしろい。ここにも、あそこにも人の生きた過去があるのだ。憎悪が生む大きな魂は、むかしの人はお化けになって、満月の夜された人に憑くと云うのだ。人生を台無しにする人は、よく憑き物につかれたという。また人のために動く役立つ人には憑かないとも、子どもの頃聞かされた。
萩の美しいお寺さん、その名も萩の寺が神戸須磨にある。萩は秋の七草。女郎花おみなえし、尾花おばな、桔梗ききょう、撫子なでしこ、藤袴ふじばかま、葛くずとはぎ。春とちがい、なぜかみんな食べられないのが残念。そして今ではレッドデータとして絶滅危惧種にまでなってしまった現実。「お墓めぐりなんてげげげの鬼太郎みたいやなぁ。とおちゃん目玉
おやじや」
「かいいの、かいいのぉ。かいかいやぁ」と子どもが叫ぶ。お前は寛平ちゃんか。お墓の蚊は吸血鬼やさかいなぁ。でも蚊にかまれる人は、むかしから得え人やと言うで。血も涙もないクズには蚊もよってこないと。「クズにはカメムシが寄ってくるやん」草の葛には虫もつくけど、人のクズには虫もつかんのやなぁ。2010.9.22名月記
秋の空に 羊と花を および折り かきくらふれば 七草の花
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