子どもにとって、楽しいこと、ためになることはなんだろう。ボクたちの小学生時代と比べて、学校でスキーに行ったり、キャンプに行ったりする。豊かになったとは、こんな事なのだろう。私が高校時代修学旅行でスキーに行ったが、このとき初めてスキーをする人間の方が大半だった。
小学生時代にキャンプで飯ごう炊さんを経験し、まっくらけの山んなかで寝る。雪の山でその白さに驚き、滑る楽しさを知る。雪の中では動いていないと、寒いからなにかするのが人間だということを感じるかもしれない。自然のなかで、あそぶ楽しさを知る。だけど、大きくなるとキャンプやスキーに行かないのも不思議だ。小学生時代にそのおもしろさを分かっているのに、行けないのか行かないのか。
息子の通う小学校の裏山は、なんと小学校の自然学習施設になっている。そこには数々の樹々が植えられ、そして小学生が作る畑や田んぼがあり、ハーブ園があり、ため池があり、羊がいる。ひと山まるごとが、子どもたちの遊び場になるのだ。山であるから、人の手が入らなければ、子どもたちが遊ぶ場にもならない。そのために先生、地域の方、父母の参加で春や夏には枝刈り草刈りがある。そうした力で、支えられている。それが無くなったとき、山も荒れるのだろうな。
その小学校の山で、おやじの会主催の飯ごう炊さんがあった。カレーを食べて、デザートに焼き芋をいただく、おいしかった。子どもたちは山をかけめぐる。歩き始めたばかりの子どもは落ち葉のなかで、でんぐりがえっている。親はほったらかしである。それでいいのだとおもう、その子をちゃんと見守っている大きな子どもが居るのだから。人は依存しあって生きられる、孤立させる社会よりもこうした寄り合いがある社会のほうが生きていて楽しい。
「おもろいんかなぁ、おんなじことばっかりして」そう言うお前も、あの子と同じ頃おんなじことばっかりしていたよ。「なんでちいさい子はケガせんのやろぅ」カラダが柔らかいのか、自然と危ない崖の方には転けへんのやろなぁ。「人間うまいことできとんやなぁ」そやなぁ。山も眠るまえに、子どもたちの遊ぶ声になお一層よそおいを増した気がした、秋のいい一日だった。2011.07記@小学校校庭?!
もみじ手で 頬ばる芋に あき惜しみ
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