8月終わりの週末、ヘンな長い雲がたちこめていた。25日は満月だった。ヘンな気持ちがした、悪い予感である。おなじ予感があの1995年1月17日前にもあった。長らく逢っていない友に顔を見せに行かなければと。もう逢えないという、悪い夢にうなされていた。「地震の予知はできない」と東京大学地震研究家のロバート・ゲラー教授はおっしゃる。確かに地震の予知など考える前に、しっかり防災の事を真剣に考えたほうが良い時期にきているのだとおもう。そして、この日本でなにが10年後起こるかは予知できることもある。
近い将来なにが起きるか、それは日本人の主食である美味しいお米を作ってくださる農家が居なくなるという事実だ。現在お米づくりに携わる方々の平均年齢はとおに60歳を超えている。「80歳になってもお米を作り続けろ」と言うのは酷な話しである。お米づくりができなくなるとどんなことが起こるか、それも簡単に予知できるのである。まずお米づくりを止めると、田が荒れる。荒れると、どうなるか? 段々畑は美味しい水のダムだと言う表現がある。水の豊富な国・日本が崩壊するのだ。美味しい水がなくなっていく。水と主食であるお米がなければ、強い円で輸入すればよいという愚かな考え方がある。ほんとにそれで国土の森、そして水はまもれるのか。 ※年齢階層別
にみた農業従事者の動向(農林水産省)●
水と食べ物がなければ生きれない。その当たり前の事をどうするか、考えていないのが国家ですでは税金を払っている国民はうかばれない。食糧生産会社をつくり、若い人に農業林業を継がせなくてはいけないのだ。そんな簡単な政策すら打ち出せないでいる国家。自民党が農家にばらまいてきたから、日本は悪くなったと言う説がある。これも半分ほんとで半分は嘘ではないか。自然なんて人のちからがある程度入って、今のカタチを保つ。その一助になっているのが、農業林業なのではないか。土木業すべてが悪ではなかったのだ。
荒れた段々畑はどうなるか? それは崩れていくのである。それは土石流というものに変わって生物、人を飲み込んでいくのだ。そして川を汚し、海を汚す。そして生物が住めなくなる。そんな簡単な予測すらできない今、ほんとに大切なモンを守らないといけないのではないか。日本を10年後こうしたいという考えがなく、ごはん文化を守ることを考えない。守らなければいけない重要な地域にお金がまわっていない。自国の食文化・ごはん文化を大切にしない国のあり方がおかしいのだ。
ほんとに天災が来た時に、一番困るのは都市部なのだ。それは阪神淡路大震災でいやというほどボクはわかった。それがなぜ活かされていないのだろうか。ボクは家がつぶててなくなり、食べるものに困った、今でもであるが。食べるもんがなければ、ほんとにだれかが助けてくれるのか? 隣町大阪から来た釜飯屋は1杯1万円で釜飯を売っていた。もう10年も経てば、後継者不足で農業は、自分たちの食いぶちとほんの少しの生産量
しかなくなるのだ。緊急事態のその時、あなたは戦時中のように札束をもって「買い出し」に行くのですか? そんな社会に住みたくはないのがボクの本音だ。
なんら、歴史から学んでいないじゃないですか。それもつい最近の。子どもと田んぼの中にあるお墓に参った。「今年は暑すぎて、わが身もきついが米がもつかどうか心配や」という話しが共同浴場でされていた。ボクはそれよりも、この稲の美しい風景がいつまで続くかの方が心配だった。2010.8.28@日本のほんとの田舎にて
だんだんの 田はあお青と 豊にて 実る稲穂の 姿うれしき
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