子どもの頃、自分はなにをしていたか? 毎朝だれよりも早くに小学校の白い百葉箱を観察しに行っていた。温度計と湿度計があって、その数値を毎日記録していた。雨量
計もあり、雨が降った後はなぜだかワクワクしていたのだ。記録するということに対して、男の子はなんだか燃えるのだ。そしてこれがいつか役に立つのだと。
天候の変わり目、明日の天気を当てることにも熱心だった。よく当たる下駄
はどれかを、確率で選んだりしていたヘンな小学生だった。いまでもひと一倍天候には敏感ではあるけれど、あの頃のように雨水の味を記録したいとはもうおもわない。
子どもの日、青少年科学館で『天気のひみつ展』観て月面遊泳してイケヤにいこか、と誘った。お天気小僧だった私はデジタル地球儀があると聞き、なんだそれは? とおもい実物が観たかった。宇宙から観た地球の水蒸気、雲のながれなどを実写
したものを地球儀に映し出しているもので、「これうちに欲しい。イケヤに売ってないかなぁ」と親子ふたりで言っていた。
「なんか生きてるみたいやなぁ、この地球儀」機械であるのに生きているよう、それはそこに映し出されてる地球がひとつの生き物だからか。デジタルは記録するのにたけている。デジタルのおかげで天気の世界も局地的な天候も記録されるようになっている。この膨大なデータが、次につながっていくのだとおもうとわくわくするのだ。2010.5.5
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