お祭りが出来なくなっていると聞く。私の親類の町では「もうお祭りは人出不足で出来なくなった」と。鎮守の森の神さんの沿道で、寅さん●がタンカをきってモノを売っているなんて風景が夏まつり。その祭りに駆けつけるために「島から船を出して観に行ったもんさ」という祭りはもうないのだ。たんかばい、夏まつりという言の葉の実体がなくなるのは悲しい。
まち・都市では祭りの縁日は、地域の神さんのおまつりといった感覚ではなく、人集めのためのイベント化した。客寄せパンダではなく、心ある人たちによって町を盛り上げる社会還元みたいな縁日もある。それは町の商店街の組合が主催してたり、地域の子ども会が主催してたり、運営される方は親やボランティアのような形態が多い。
楽しんでもらう、その心意気がええ。
ただ、むかしのように子どもから銭を巻き上げようなんて商売がないのでつまらない。何十円も使って『かたぬ
き』なるものにお金をつぎ込んだ記憶がある。中学生の頃は釣れた所はみたことない『うなぎ釣り』にうつつをぬ
かした。あぁなんて馬鹿なことをやっていたのかと後悔し、そのお金で須磨寺の参道で美味しい鰻丼が食べられたのにとまた後悔して腹がへる、ほんまあほらしいこっちゃ。
「また金魚もって帰ってきて、だれが面倒みるの」と母親に怒られながらも、金魚がもらえるまで金魚すくいをする。しかし、馬鹿な事だとわかっていても、楽しみのひとつとして、人はそんなあほうな事をやってみたいもんなんやろなぁ。それが生きてるってことなんかもしれんなぁ、金魚はすぐ死によるけれど。
ヘアピンの可愛い女子高校生が懸命に金魚を追いかけているヨコで、やぶれたポイで金魚を追いやっている幼児をにらむ。じっと金魚をみている赤ん坊はなにおもふ。でっかい金魚をねらって、一発アウトのガキはポイをうらめしそうに見つめてる。気がすむまで、楽しんだらええんよ。人生なんてそんなにちがいはないのやさかい。
勝ち組やぁ、財産さんざんあるよ、って言っててもハイパーインフレや国が破綻すればおしまい。いや海外に資産があったとしても、その国で戦争が起こればおしまい。自分ところだけ神戸のような直下型大地震が起こったらもろともおしまい、そんな簡単なことがわからん人はきっと縁日を楽しまれへん人なんやろなぁ。
2010.8.8記
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