「おぉぃ、ぼうず。水入れたったから、熱っないで、おいで」48度の高温温泉に常連のおっちゃんが誘う。入ろうとする息子が足先だけつけては辞め、つけてはやめるから。「ぱっと入って、すぐあがるんやでぇ。どうやぁ、熱いか」「あついなぁ」。ひーひー言いながら、わらう息子。笑える状況ではないけれど、なぜだか人は笑ってしまう。
「外はもっと暑いでなぁ。今日はなにしてたんやぁ」「ゲゲゲの水木さんの妖怪観てきた」「この先の水木通
りの水木さんかぁ」見ず知らずのおっちゃん連中からこうして、公衆浴場で話しかけられる、そして身近な社会を知らされた。熱いけど入れそうかなぁとおもいながらも、ダメ。そんなとき、さぁと手を差し伸べてくれたおっちゃん。こうして周りの人に依存しながら人は生きている。それがわからん人が多いなぁ、今は。
『水木しげる妖怪図鑑展』を観に行くと、立派な美術館に子どものわんわん泣く声が響き渡り、なんやこれと妖気に笑う子どももおっておもろしろかった。「なんや子どもだましやん」と言う子どもと修行の足らん大人。なんのためにそれなら来はったん。「人間さまの世の中が舞わるのは、周りの人だけちゃうでぇ、目に見えへん妖怪も手助けしとる」と言われた気がした。
活気ってこういう事ちゃうんやろかなぁ。世の中活気がないって言ってるけど。美術館では「こうあるべきだ」と物音ひとつたてずに、単なる絵や銅像をみている。それはおかしい、子どもがスケッチしてたり、銅像が動いたりするかも、、、と言う光景が生きてる感じがする。フランスの美術館では、平気で子どもたちがマネ観ながらスケッチしてまねてた。「ええなぁ、ボクもこれと同じの描こう」という感動を止めるのがルールなのだろうか。
なにが一番おもろかった?と息子に聞いた。「前に立ったら、へんな音がするのが驚いた。女の子泣いてたなぁ。でも抱いてるお父さん楽しそうやった」なんで泣いてる子どもに職員が「泣いたらあかん」みたいに近づくのか不思議だった。美術館では音は厳禁、写
生なんてもってのほか、ペンを持つ事は美術品を痛める行為みたいなウソが、体裁だけの社会システムのようだ。そりゃ閉塞感ができあがるでなぁ。
地震以降できた町、HAT神戸にある兵庫県立美術館。ここに来ると、なんだか地震があったことなんて忘れている。妖怪に遇ったあと、公園で炎天下のなかフリスビーをして、JICAの世界の楽器を演奏して、温泉へ。そのあと水木しげるさんの水木通
りのある新開地湊川へ。「神戸はなんでもある町やなぁ。妖怪ぎょうさん出たなぁ」。2010.9.5@HAT神戸、湊山温泉、雪の御所、水木通
り
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