誰かに「あの人のおかげで」「あぁあの人は素敵な人だったなぁ」とおもいだしてもらえる人が生きて来たってことちゃうん。とうちゃんでも、地震のあと生きてこれた、東北の人もなぁ、、、。
ふんばる、負けないこと。言の葉でいうことは簡単やけんどなぁ。だけど人の生きて来た道なんて負けてばっかりやでぇ。
おまえの好きな将棋の羽生善治さんだって、いっつも勝っている雰囲気やけど、森内俊之さんに名人戦負けてもたもんなぁ。3連敗して、3連勝なんてことすごいけど。だけど最終戦で負けたら、普通の人は負けとしかみんもんなぁ。
でも、そこやで。そこ覚えとかな。3度も負ければ、もう後一回でおしまいなら、人は弱気になるわなぁ「あぁもうアカン」って。普通の人はそうや。それではダメなんだよ、ってボクらに教えてくれるんがプロの棋士。考え方違うでなぁ。「3度相手が続けて勝った、それなら3度続けて相手が負けることもある、いや4度続けて負けることだって、」ある。お前もそうおもて生きていかんとあかんで。
将棋が好きな東北の小学生も、おまえと同じで「羽生さんふんばってる、すごいなぁ」とおもたとおもう。そこやでぇ、人の価値って。人がみてて、あぁ自分もあぁ成りたいなぁ、とおもうことや。 父ちゃんなんて、地震でマンションなくなってんでぇ。神戸に住んでる人、そんな人だらけや。周りには死んだ人だっている。でも踏んばれたんやでぇ、なんでか。踏んばってた父ちゃんと同じ学校の谷川棋士やプロ野球球団に、あの1995年元気もろたもんなぁ。それになぁ、不思議なんやけど川縁でバイオリン弾いてた人がおったんや。その人悲しかったんやろなぁ、だけど父ちゃんは勇気でたで、音楽はええなぁ。
その人の事はいつまでも人は忘れない。 この兵庫のあたりだって「がれき」って言葉でかたづけられた、大切なもんばっかりやったんや。失礼やで「がれき」なんて言葉も、軽々しく口にしてはダメや。その大事ながれきをつみあげる為に、その所有者は苦労して生きてきたんや。そこで一所懸命生きてはったんや、それが人の想像力や。「がれきみたいな内閣」なんて言う馬鹿なマスコミな、あれなんかもうほんまゴミやマスゴミや。人を非難ばかりすることは簡単なことやさかいなぁ。それなら「がれき」の中からお前ら大切なものを救い出せたか?
「がれき」と呼ばれて悲しい想いしてはる東北の人がそれ聞いたら、どうおもうと感じる? 神戸の人がそこの「がれき」捨てろなんて、言われたら激怒したんやで。神戸でも地震の後、言葉の使い方間違えて、えらい事になったんやから。隠喩やなんて勘違いしてるんやろなぁ。知識はひとのために使うこっちゃな、ひけらかしたり、自分の有利だけのために使うもんとちゃう。
関東の人からみると「平清盛」なんて悪人やろなぁ。だって「源」さんのおかげで、関東が日本の中心へと移行した。 まわりがなんと言おうが、悪い人いい人なんて所変われば、180度変わることだってあるねんで。それ覚えとかなぁ。ええ人?源氏さんのおひざもとやから鎌倉の大仏さんは立派で、平清盛のお膝元兵庫の大仏はあかん、のではないからな。
ただ単に、みんなが知らないだけ、神戸の人でも奈良の大仏は観た事あっても、この大仏観た事ない人居るしなぁ。なんだか操作されたような考え方があるというのに気をつけんと、えらい目に会うで。
人が生き、人に喜びを与えられた時、それはどんな人にでもあるよなぁ。わかるかぁ、生まれた瞬間や。「あぁこの人がわたしの子か」とおもった瞬間の喜びは元気でたでぇ。震災の後、やっと神戸の町もそれらしくなってきた時やった。それを忘れてまうんやなぁ、人は。それを忘れなければ、投げ出したり、逃げ出したりでけへんよなぁあ。
@非力ですがKOBEからも応援しています。 2011.6.25記 大切な日。 いきものがかり「ありがとう」を聴きながら。
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