地震直後、被災者はがんばれ、がんばれと自らを鞭打つ。これが「がんばれ」かけ声の最大の問題点だ。それが理解できていない人が多すぎる。「がんばれ大きな地震で想定外なのだから」と言う人に向かって、あほか!と叫びたい。あれだけ危機管理を叫んでいた人々はどこへ消えた?
阪神淡路大震災のときボク自身全壊の中で、人助けのためにがれきの撤去などを手伝った。いまでもあの状況でなんで満足に食いもせず、がんばれたのかわからない。震災のストレスは瞬間的にはからだを刺激して、活性化するそうだ。医者に言わせると免疫力も、パンと震災のような過度なストレスがかかるとその瞬間急上昇するそうだ。だから猛烈なエネルギーもだせると、火事場のばか力はこれだ。
1995年初夏。 ボクは脱力感にさいなまれた。バテバテの状況で、人生すら嫌になった。好きな桜がいつ咲き終わったのかもわからん状態の1995年。つまり、生きていくことを半ば諦めようとしていた。こんな時、平常の東京や大阪の人から「がんばれ」といわれると無性にいらだった。「がんばろ神戸」と言えたのは神戸の人間だから言えたわけ。
だからイチロー選手のヒットがすごい事におもえたのだ。がんばれってそう言うことちゃうん? 不言実行って言の葉知ってますよね。がんばってる姿をみせてる人が言うこと。なんどか電車に引き込まれそうになった、その時オリックスブルーウェーブががんばるグリーンスタジアムへ友が誘ってくれた。● その友がつぶやいた「山でも登ってきたら。お前、山ではいつも野宿じゃん。あせる必要ないし」
そんな人生諦めた状況の中「歩くこと」が唯一のなぐさめだった。友人の全壊のお宅のかたづけに何時間もの道のりを、大切なものが「がれき」と呼ばれる悲しい街をとぼとぼと歩き続けた。そのおもいをいま東北の方々はされているんだとおもうとこころが痛む。町の道ばたで休んでいると、被災道具が入ったリュックにつけている熊避け鈴の音色をおもしろがってた幼子がいた。カラコロ、と鳴らして遊ぶ。「あげるわぁ」子どもは嬉しそうにうなずいた。焼け焦げた町をみつめてた子ども。あの微笑みを今もおもいだす。人の記憶とは一体なんなんだろう。
「がんばれ」とは、山で遭難した同じ境遇のもの同志が励ましあう時につかう言葉だ。言の葉の意味を理解できなくなってしまっているんだなぁ。安住の地から「俺は危機管理が出来ていて助かった。おまえは運が悪かったんだ。がんばれ」とは口が裂けても言えないのだ。それは無責任、想定外という言葉と同じだ。それを知っているのは地震で被災した者だけなのだ。
何も考えず「がんばれ」と高みから言ったばかりに、周りの人から一生恨まれる元をつくり出していることをわからんとあかんわぁ。
あなたの「がんばれ」の一言が、その人が自ら命をたつ引き金になるんですよ。
それをホントにわかって欲しいよなぁ。東北の被災したみなさん、阪神大震災で被災したボクたちも応援していますよ。一緒に歩んでいきましょうょ。16年生きていい事たくさんありましたから。
今年も桜が咲いた。あの時と同じ悲しいお花実となった。花は実るのである、ソメイヨシノは実らないが。お江戸のソメイヨシノの満開ばかりがお花見ではありませんよ、それも分からない人がこの世の中には多すぎる春。びわ湖に咲く一本アズマヒガン桜、あぁ美しき三分咲き。@水上勉『櫻守』の清水の桜2011.4.10 いきものがかり「くちづけ」を聴きながら。「sakura」の方がいいなぁ」とメールくれ、「いきものがかり」がががりと指摘、ありがとう。すいません、失礼にも名前間違えてました。
|