「ここで父ちゃん、サッカーしたことがある」「こんな所で、やってええん?おこられへんの」「小学校の先生が審判していてくれてたからなぁ」「体育の先生?」「いや絵の先生や」「え」今では小さいと感じる境内を歩きながら、絵が好きな子どもたちがへんなルールのサッカーをし、足を引きずりながら絵の先生は微笑ってた。もちろん鳥居がゴールである。
子どものころ、絵の先生がよくしてくださったことをおもいだす。絵を描くのが好きな少年少女を集めて、小学校の先生が日曜日に写
生会を開いてくださっていた。覚えているのは、絵を描くことを教えながら、絵で伝えるにも体力が必要だとサッカーをさせていたこと。
デッサンがおわった。「そこまで画ければ、もうできたもおんなじ。色は頭のなかにたたみ込め」と言われ、「絵を描くにも体力だ」その後は体力づくりだった。なぜだか美術教師の手の中にあるボール、ミスマッチ。どう考えても運動はできそうにないボクたち。
「こらぁ、好き勝手に蹴るのとちゃう。小さい子もおる。絵描くのとおんなじ」なにかと言うと、その先生は絵を描くことに結びつけた。不思議だった。「隠しながら描くな、はずかしない。なにか伝えるために絵や文字はある、隠すもんと違う」と。今、先生と同じくらいの歳になった自分には、なんだかよく解る気がする。あぁ大切な事を教えてくれていたんだと。
「この絵なにがええとおもう」絵が好きな子どもたちは好きな勝手を言う。「電球が、金色にみえるのがすごい絵」え、そんな気持ちで描いたんとちゃうのにとおもう事を言う。そうか、自分の観ているこの世界も人からみれば違うんだ。
縁日の境内でボールにみえた綿菓子。あの頃のボクたちは自分の描いた絵もそっちのけで、白いボールが大事で、みんなで追っかけていた。その後ろに先生は笑いながら立っておられた。いまでも「だいじょうぶ」と。2011年1月18日記@縁日の境内にて
KOBE,Japan.
井上陽水「東へ西へ」を聞きながら
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