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 夏は暑いというけれど、ほんとに暑いのだろうか? 猛暑だとか、百年に一度だとか、いままで経験したことのないだとか、クーラーの部屋からがんばれとか、その表現がはたして誰のなんのためになっているのか? そう言っている人は解っているのだろうか。今年神戸はそれほど暑くもない。


  子どもの頃、KOBEの夏は「ぎょんさん」のお祭りではじまった。生田区や兵庫区ではそうだった。祇園さんとは、京都の祇園祭とおなじくKOBEの祇園神社でおこなわれるお祭り。なんで、京都の祭りが神戸で? それは清盛さんが京都の町をお手本にKOBEに遷都した際に計画したのだろう。そして子どものためのお祭りでもあった。この界隈は清盛も入ったと言われる温泉も湧き、そして「雪の御所」@平家の野である平野小学校、があった場所だ。


  日本人の大半の人はKOBEがむかし首都だった、なんておもってもいない。「先生や教科書は嘘つきやなぁ。平清盛は国賊だ、と子どもの頃教えられた。悪い人間が英雄としてテレビにでられるんか。こんな男前か、清盛は」とお爺さんが温泉でぼやいていた。松山ケンイチさんが悪いわけでもないが、なんで清盛=悪・国の敵のような空気はつくられたのか? そして、民のガス抜きに国が清盛を担ぎ上げる。 


  モノを考える時、なにに立脚するか。それでモノの見方は悪にも善にもなる。つまりは御用学者と言われるロクデナしが自分の懐とその金を出す側の論理で、あるモノを語れば「国賊だ」となるのだろう。今も千年前のむかしも変わらない。「なにが正しいかを、自分で見極めて欲しい」そう、祇園さんでお願いした。


  平家が台頭してきてから、この国は武家社会に突入した。それをよろしくおもわなかった公家官僚社会は首都KOBEを見下しただけなのだ。しかし見下した京都は、その後、源氏が鎌倉に国の中心をつくり本格的武家社会に突入、つい最近の140年まえの江戸時代まで武家社会が続いた。


  つづく事はたいしたものだ、屋根やのふんどし。民はそれでよかったからだろう。江戸時代の浮き世絵なんて観ていると、民衆は楽しく幸せそうだ。でも今の世の中ほとんどの人は幸せな気分なんて味わっていないし、社会としての形をなしてないのだ。電気止めるぞと脅され、びくびくしながら。おどしの社会は最悪だ。


  もう一度日本国憲法第25条【生存権・国の社会的使命】を精読してもらいたい。この責任。いったい誰がとるんだろう。GODAIGO「Gandhara」を聴きながら@2012夏。首都だったKOBE

今年も子どもとともに歳時記2012年

「あれ、人はすること同じなんやなぁ」|2012.12.16
|「手を繋ぐことが出来ない」| 2012.10.27
「これで、いいのだ」|2012.9.22
「なんなん?おもしろそうやなぁ」|2012.8.26
|「それが続くわけじゃない」|2012.8.20
「夏になんで花火あがるんや」|2012.8.4
「真実を口にするのが憚られる」|2012.夏
「琵琶湖一周やぁ」|2012.夏
「仙台のキーパーすごいなぁ」|2012.7.7
「素敵な写 真だねぇ」2012.6.29
「フンガフガ」と潮干狩り|2012.6.大潮
「さぁ、さぁ」御影だんじり祭り| 2012.5.4
「あぁあの桜」今年最期のお花み気分
| 2012.4.7
「その日のまえに」永遠などないのだ|2012.3.11
「歌声の聴ける町」透明感ある社会がえぇ|2012.3.10
「本物」騙しは人の魂をうばう@那智黒|2012.3.5
「紀勢本線に乗ろ」和歌山が好きだ|2012.3.4
「春ょこい」今年こそお花見|2012.3.3
「またきてね」宮城気仙沼を応援するぞ|2012.2.11
「力を合わせ龍を呼ぶ」春節|2012.1.23
「奏でる未来」Ruri音楽仲間|2012.1.22
「一心合力」陸前高田から|1.17KOBE
「とりも生きてる」とりぱん親子|2012.1.4
新年、闇が取り除かれた2012年春。
「あの闇夜はもう明けた」新春|2012.1.1

子どもとともに歳時記2011年

子どもとともに良き日に。
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2013年8月16日
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