山手小学校に通っていたので、金星台や再度山は遊び場だった。だからぼくらも知らない昔に諏訪山動物園1928〜51年があったことも知っている。昭和40年代まだ檻が残ってたりしていた。そこの居た象のすわ子が王子動物園まで国体道路をのっそと歩いて移動している写
真も何度も観ている。道路は象が移動するためのもんでもあると子ども心に思ったのだ。生物みなのものという考え方も一部の人間の手によって変えられてはいるが。
その土地とちで、そうしたニュースは伝え聴く。それがその土地に住む人たちの根っこに繋がっているんだともおもう。そして地元の話題情報が会話のはずみにもなっている。兵庫県初代県知事・伊藤博文の銅像がかってあった大倉山よこの病院で、入院中の友人と「あほか」「かす」「あほんだらぁ」「ぼけ」「だぼ」「ばか」の用語の違いをふたりで検証してみた。なんでそんな事をしたのか?
「いやぁなニュースあったやろ。障害者は税金の無駄遣い、日本の邪魔やで殺すか。犯人みたいな、てめえが優秀やと思う考え方のやつ、最近多いわなぁ。行政のトップに立った途端に税金で自分の好きなもん買う、その方が無駄
で無能なんやと役所の誰か忠告したれよ。同じ穴のムジナこそ税金泥棒やで、関西ではばーか、関東ではあーほ」。友人のお兄さんは障害を持っている。彼はお兄さんの後見人である。だから「お兄さんよりはよ死ねませんで」と励ました。犯人を観て思うのは勝ち組の上から目線、「放送禁止用語よりあかん言葉やなぁ」。そんな嫌らしい言葉を作った人間もあほんだらぁ〜ですが。
マスコミで流れる言葉がそれをどう受け取るかは地域によって違うのに、なんで標準語なる言語で表現されんといかんのでしょうかねぇとも。「いまでもおるけど、言葉は喋れても文字描かれへん人も昔ぎょうさんおった。そんな人を惑わすために標準語ってあるのかもしれん。まぁぼくら神戸の人間やさかい、別
に障害者言葉であろうが何語喋ろうが関係なく信頼関係をもてばえぇ事。それで区別
するなんて最低の人間のすることやし」。ラジオで神戸の言葉で喋り、そしてニュースを伝えようとしていたのがその友人だ。まぁそんな嫌なこと忘れて花火でもみよかぁ、と。2016.8.6広島原爆の日@KOBE
|