鬼が子どもの頃から好きで、ケータイのauの鬼を楽しく観てるのだ。金太郎に似た友が居る。その友人は二ノ宮金ちゃんの報徳高校に行ったのだが、CM視て壺にはまって笑ってしまった。おもわず、auに乗り換えようかと思うくらい。
鬼が居るか居無い、か。そんな事は世の中には数多くある。滝川高校時代、僕が一番好きだった授業が数学。やたら頭のええ奴よりも、唯一僕の方が早く答えを出せたからだ。しかし、黒板に書かれた点を指して「面積を求めよ」と言われた時、絶句した。
ある子が、点には面積は無いと答えた。禅問答のようだが、この歳になれば理解できるのだが、数学で言う点や線は実際には目には見え無い。だけど便宜上、ノートに描けるのだ。これは鬼の存在でも言えることなのだ。
節分の豆まきは、昭和時代あまり私の周りでは無かった。摂津や播州地域で鬼が登場するのが「追儺式ついなしき」だ。難儀を鬼が追い払う行事だ。お正月から節分、そして5月に行事が行われる所もある。地域によって漁業や農業を占ったりもする。
鬼は悪ではなく、悪もんとええもんの鬼が居たり、また改心して人のお役にたったりと。豆まきではなくて、お餅まきが有ったりする。豆をまくというのが節分という考え方は、不確定なもの。だから、そんな自分が勝手に正しいと思うことも、お隣に行けば違うとなるんとちゃうんかなぁ。いろんな意見が有って当たり前。それをイイ悪いというのが昨今のデジタル的風潮だが。立つ位置であなたの正義も悪になるとうことがわからんと人を批判する人が多い。
豆まきは神社で、餅まきは寺院という人も居るが、ここ長田神社では豆まきはない。追儺式が執り行われ、最後に大きなお餅を力もちの鬼が割る。延々と続く鬼のダンスがこれまた滑稽でもあり、おもしろい。お金もちになる餅が入った饂飩が境内では食べられる、これがまた美味い。夜になるとお餅を割るのだが、難を割るとか、まっ暗になった世を割って太陽を出すという意味合いをもつ地域もある。なぜか鬼と月はセットでもれなく付いてくる。
豆や餅まきといった事実も節分の日といわれる2月3日を境に、なにかが生まれるからだろう。南南東の恵方を向いて、無言で海苔巻きも食べた。可笑しいなぁと思う、それでいいのだ。海苔は瀬戸内の産物だし、漁師も喜ぶ。笑飛ばしてて、節分のこの日、健康金もちになるヨモギ餅もどうだぁと食べた。あぁ満足。2016.2.3追儺式@長田神社KOBE,鬼束ちひろ「月光」を聴きながら
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