太陽が沈んだら、あったかいお米を食べて、畳の上でぐっすり眠れる。それがほんとうにありがたかった。六甲おろしの寒風のなか10キロほど自分の脚で歩いても、まったく気にならず、ただ霜焼けがひさしぶりに出来た。袖ふり合う多生の縁、町の人たちはそれぞれにやさしかった。
倒れぐちゃぐちゃになったコンクリートの上で休んでいたら、よほど見かねたんだろう。子どもをおんぶした女性が近寄って来て「何か食べるもの要りますか」と聴いてくださった。そしたら、その後からついてきた小学生低学年の子どもが「おっちゃん、パンあげよか」と菓子パンを持って来てくれた。
これは君がもらった物だから、大事にせんとなぁと言うと「おっちゃん、僕はまた貰えるから」と。そしてその子のお母さんが「男の人は、たいへんですよね。我先にと支援物資ももらえる立場でないと遠慮されてる方たくさんいますものねぇ。」と。
「人さまから施しをうけるなんて」と昔の人なら言うだろうが、あの1.17の後の被災者・ホームレスには、人からの声かけのひと言がうれしかった。僕のように地震で居場所が無くなれば、いくらお金を持っていようが無かろうが、組織に属していようがいまいがホームレスと呼ぶのだ。
被災者=ホームレスと海外のメディアでは表記される、そのことを同じ境遇の人に話すと「あんた馬鹿にしてるのか」と怒られもしたが。そう言うあんたの方が、こうして暖かい体育館にいてホームレスを馬鹿にしてるのか、と言いたいところだが、議論は腹がへるだけだからやめた。
不思議な気持ちでまた1.17を迎える。私が観た1995年の神戸の町並みは今でもはっきりと。そう思うこの瞬間、あの時と同じ地震がまたやって来て、そしてまたホームレスが生まれる。その時、私と同じように無力さをみな思い、そして本当のしあわせを知る。手を合わせた1.17のともしび、あなたと共に。2016.1.17 RCサクセション「よそ者」〜『SOULMATES』をまた聴きながら。
|