なつかしい、とおもってしまう。それはどうしてか。写真を撮っていると、よくデジャブと勝手におもう。それがよく起るのがわが子を撮影しているとき。そこに居るんが、まるで自分であるかのようにその後おこる事すら解るのだ。
「それは当たり前さぁ、似てるわが子だろう」と友人は言う。そりゃそうなんだけれど、そうではなくそこの空気感のようなもんが、あの夕立の匂いのようなそしてそれにキュウリの漬けもんのようなかほりもプラスされて。
「あぁそれ祇園祭りの縁日やろ、だからキュウリ」違うなぁ川勝さんの漬けもんがただよってる。「お前あほかぁ」
勝手なもんですねぇ人間てやつは。人がつくりだした「匂い」だとか「かほり」だとか、上手いこと言いはって。なんの役にもたたないしろものだけれど、それをまとめたりすると文学的、、なんてことになる。
私はない、空であるとおもうと、そんな事もなんとなく理解できる。いつか観た風景でも、にほいやかおりはもうなんども経験してることなんだろう。それはこの私だけでなく、数多くの人が。だから、写
真アルバムを観てるとなつかしくおもうのだろう。最近そうおもうようになった。
だから私という生きもんではなくて、この私も空気みたいなもん。それこそ「かほり」みたいな。だからあんまり固執もしなくなった。どうでもえぇんよぉ。だけど、食べるもんにはまだ好みがでるなぁ、、
「しば漬け食べたい」この時季あの感覚やわぁ、あぁ美味しい漬けもん食べたなった。夏はすっぱい酢漬けもよろしおすなぁ。誰かお中元にくれはらへんやろかぁ
(⌒-⌒)2016.7.15 茉奈 佳奈さん「いのちの歌」を聴きながら。
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