関西学院大学KGB黎明期の歩み 相原卓巳アルバムから2

1956(昭和31)年KGB夏合宿は伊勢志摩で。これはドラマパートの練習風景、熱が入ってます。

「私は高校生の時からラジオドラマにはまりこんでいて、大学生になればぜひ放送部に入ろうと考えていたのです。その私が新入生のとき度肝を抜かれたのが学生ドラマコンクールでの同志社大学のドラマ。それはスゴカッタ。ぽかんっと見てるだけ。と言うのも当時は大手前会館の舞台で即興でラジオドラマをする、そう舞台劇のような感じで。こんなの自分に作れるだろうか、そんなことが頭をよぎりましたよ」

1957(昭和32)年
「6期が執行学年の時に夏合宿を遠方でしたいという声もあがり、私の遠縁のいる山梨県昇仙峡へと夏合宿旅行を敢行。当時は新幹線ももちろんなく、何時間もかけて旅した思い出が。ほんと旅をした気分になったよ」と当時を振り返る6期相原談。その場所が気に入ったのか次の年の1958(昭和33)年も同じ昇仙峡で合宿。野球がみんな好きで、もちろん当時から野球のできるグラウンドが合宿地にあるのは必要条件だったとか。そして出来ればふたりの時間を演出するボートもあればなおのこと良い?!
1958(昭和33)年8月20日撮影


1958(昭和33)年8月20日@山梨県昇仙峡にて


1999(平成11)年1957(昭和32)年

1958(昭和33)年
のKGB総部放送局夏合宿地であった
松田屋を42年振りに訪ねる。松田屋の建物はいまも残り、懐かしい思い出が・・
あの時とまわりの風景は変わりなく、私たちだけがすこし変わった
関西学院大学KGB総部放送局OBOG会5期から9期のメンバーで山梨県昇仙峡にて

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only Japanese. 2011年8月13日 変更

©Mac Fukuda