関西学院大学総部放送局創部60年の歩み1  1951(卒業は1954)年-1955(第2期)年
  

第1期松本暢章(故人)アナウンサー
大学4年生すでに
JOCR(AMKOBEラジオ関西)で
アナウンサーとして活躍 する。
卒業後関西テレビへ、
競馬実況アナウンサーとして有名に。
そのあと競馬実況と言えば8期杉本清と続く。

1951(昭和26)年
・関西学院大学商学部開設・10月関西学院大学にKGB放送局の前身「放送研究会」が産声をあげる。このとき文芸、報道、技術にわかれていた。まだ部室すらない時代、そのルーツは関西学院時計台下

・NHK第一回紅白歌合戦放送1月 ・NATO軍発足、最高司令官にアイゼンハワー就任 ・マッカーサー国連軍最高司令官を罷免され帰国・サンフランシスコで対日講和会議・日米安保条約・学校給食を全国市制地域の小学校に拡大実施・民営の米屋復活・日本ではじめてのワンマンカーバスが大阪市を走る・札幌ススキノにサッポロラーメンの専門店開業NHKがテレビ実験放送で初の実況中継・初の民間放送局として中部日本放送、新日本放送(MBS毎日放送)開局9月・ラジオ東京(TBS)開局12月 ・LPレコードが日本コロムビアから発売¥2,300・ショルダーと呼ばれる携帯テープ式録音機が東京通 信工業(ソニー)から発売・ヤミたばこ、外国たばこの一掃キャンペーン・パチンコオール10、20の大流行でパチンコ黎明期・ヴェネチア国際映画祭で「羅生門」が日本初のグランプリ受賞 ・獅子文六「自由学校」ベストセラー・老兵は死なず、逆コース、アジャパー、PRが流行語に・24回アカデミー作品賞「巴里のアメリカ人」・カンヌ映画祭最高賞「ミラノの奇跡」「令嬢ジェリー」キネマ旬報によるとこの当時の平均映画入場料金は60円
KGB総部放送局黎明期のアルバム


1953(昭和28)年第一回目の全局合宿
@場所は中山寺華蔵院

1952(昭和27)年
・文学部神学科を独立神学部開設・「放送研究会部員募集の張り紙には「時計台下へ集合」と書かれていて、私と藤岡琢也はけったいなところへ集まるんだなぁ」と言いながら出向いたことを思い出すと4期西澤談・日本の民放としてはじめて電波を発信したNJB新日本放送(毎日放送の前身)で1期岡田美智子、2期南健仁が報道部員としてレギュラー出演をしていた。当時NJB新日本放送スタジオは阪急百貨店の10F11Fにあった・「局員が集まるための部室すらない状態から、活動のためにもっといい環境を」と文化総部傘下の部に昇格を模索。全学自治委員会へ部員が参加、放送部への基礎作り。自前のスタジオを持つなんて夢のまた夢の時代


・対日平和条約・日米安保条約発効
・アメリカ水爆実験・血のメーデー事件皇居前広場で警官隊と激突・皇太子明仁、成人式及び立太子礼・君の名は ・日本テレビ放送網に日本初の放送予備免許与えられる ・砂糖、麦の統制が撤廃・
学校給食を全国の小学校に拡大実施・不二家「ミルキー」発売10円・煙草「ラッキー・ストライク」のデザイナーがデザインをリニューアルした「ピース」がこの年一番のヒット商品に・松下電器産業の17インチテレビが29万円・十勝沖地震M8,2・ホルモンで若返り?!手術が流行・供出がすんだ残りの米の自由販売実施・マークゲイン「ニッポン日記」ベストセラー・火炎ビン、ワンマン、さかさクラゲ、LPが流行語に・25回アカデミー作品賞「地上最大のショウ」・カンヌ映画祭最高賞「2ペンスの希望」「オセロ」キネマ旬報によるとこの当時の平均映画入場料金は60円、

美空ひばり「リンゴ追分」江利チエミ「テネシーワルツ」、神楽坂はん子「ゲイシャワルツ」田中絹代「西鶴一代女」木暮実千代「お茶漬の味」
KGB総部放送局黎明期のアルバム





当時の部活動顧問法学部長
三戸教授を囲んで
これこそ KGBのはじまりの記念すべき撮影

関西学院大学放送研究部
2,3,4期の局員が大集合。
@当時まだ図書館は両サイド増築
されていないが バックは時計台
1953(昭和28)年
・10月念願の文化総部傘下の「部」に昇格「関西学院大学放送研究部」が誕生!部室はまだ無くて、毎日関学内にある喫茶店ポプラ横のもとワンゲルの部室だった会議室のような倉庫のような、ところを借りての活動。がり版ひとつとっても関西学院大学の備品を借りての活動。唯一備品らしきものは、放送研究部らしいテープレコーダーで第4期西澤のお兄さんがクラブ活動のために購入してくださった東京通 信工業(ソニー)の携帯テープ式録音機(写真下)。

吉田首相衆院予算会議で「バカヤロー」と暴言、解散選挙・ニクソンアメリカ副大統領、戦後初の国賓として来日・ NHK東京放送局が日本初のテレビ放送を開始2月・日本テレビ本放送開始8月・奄美大島が日本復帰・水俣病発生・ラジオドラマ「君の名は」が流れる時間には銭湯はガラスキと言われるほどの大人気メロドラマが映画化、真知子巻きが大人気・力道山・モンロー型と呼ばれるファッショングラスブームに・内田洋行のマジックインキ80円がヒット・各地で豪雨の被害・街頭テレビが登場・ おこんばんわのトニー谷さんがサイザンスと大流行・東京青山に日本最初のスーパー紀ノ国屋オープン・アンネフランク「光ほのかに」ベストセラー・八頭身、サイザンス、家庭の事情が流行語に・26回アカデミー作品賞「地上より永遠に」・カンヌ映画祭最高賞「恐怖の報酬」キネマ旬報によるとこの当時の平均映画入場料金は60円・テレビ受信契約者数7,603件

伊東絹子ミスユニバース世界第三位八頭身美人、雪村いづみ「想い出のワルツ」、岸恵子「君の名は」



KGB総部放送局黎明期のアルバム

宝塚と花をこよなく愛した君へ


関西学院大学放送研究部
クリスマス忘年会 集合写真。
@ 神戸花隈沖天閣にて
1954年12月23日


昭和29年発行部員証明書
1954(昭和29)年
・関関同立などの放送研究部が集まっての関西学生放送連盟(略称/関放連)が発足。関放連主催のドラマコンテストではいつも大阪府立大学がトップ。当時大阪府立大学の放送ドラマの脚本は、のちに作家として世に出た藤本義一氏が手がけていた。「藤本義一氏は大学生の時からすばらしい放送脚本を当時書いておられて、大阪府大に負けじとなんどもKGBドラマ部は脚本を何度も練り直したのだが彼の書いた脚本にはかなわなかった」と当時を語る西澤日章談・当時クラブ活動費も無くてお金を稼ぐために当時流行していたダンスパーティーを宝塚南口の武庫川沿いにあった「宝塚ダンスホール」で放送研究部主催で催したが赤字をだしてしまった

自衛隊発足・アメリカがビキニ環礁で水爆実験、第五福竜丸被爆、放射能マグロ問題・造船疑獄摘発・町村合併により全国で35市が誕生・青函連絡船洞爺丸転覆死者行方不明者1,155人台風15号で全国的な被害が広がる・ゴジラ誕生・「ローマの休日」「麗しのサブリナ」上映でサブリナパンツ、ヘップバーンカットが大流行・50銭以下の小額貨幣と10銭以下の小額紙幣が通 用廃止に・プロパンガス登場・パチンコより安上がりとゴルフ練習場がはじめてできてロマンスグレーが流行・222で電話天気予報サービス開始・屋根が赤い丹頂形の公衆電話ボックスが誕生・伊藤整「女性に関する12章」三島由紀夫「潮騒」ベストセラー・死の灰、ロマンスグレーが流行語に・27回アカデミー作品賞「波止場」・カンヌ映画祭最高賞「地獄門」「地上より永遠に」キネマ旬報によるとこの当時の平均映画入場料金は60円 ・テレビ受信契約者数39,827件、京マチ子「春の渦巻」


KGB総部放送局黎明期のアルバム

宝塚と花をこよなく愛した君へ



当時としてはめずらしい
放送研究部の活動を支えた
東京通信工業(ソニー) の
携帯テープ式録音機

1955(昭和30)年
・1950年の新制大学第一回卒業生は338人、それから入学者は増え続け1955年度は1,500人が卒業・関学千刈キャンプ開設・1月学内放送の許可を受け、11月に本格的放送開始・「4月胸躍らせて、関学の放送部ならきっと素晴らしいスタジオがあるのだろうと期待して入部しようと訪れたら、先輩に「スタジオは無い」と言われてショックだった」と当時を振り返る6期相原卓巳談・年末には念願の局室ができる。教授食堂だった建物を文化総部、エゴラド、KGBの部室に改良。スタジオと副調整室、そして6畳程度の部室だった。のちに文化総部の部室へエゴラドが移り、空いたエゴラドの部室がKGB会議室として大きくなる。1984年に新学生会館ができて、移転するまでこの局室が活動の場所になる・開局日にはアウターブジッジ関西学院院長が祝辞をのべられ、宗教主事の祈祷もあり盛大な開所式だった。記念すべき第一声は当時のアナウンサー部長だった西藤公一(伊達公一
)とアウターブジッジ関西学院院長・混声合唱団エゴラドとも1984年まで長いあいだお隣さんのおつき合い。当時はエゴラドの発声練習は日本庭園で、KGBは池周辺や他のところでやっていた

・保守合同で自由民主党結成55年体制のスタート・第1回日米原水爆禁止世界大会、広島で開催・日米原子力協定調印。日本の原子力研究始まる・共産党六全協で方針転換・協同乳業初のバーアイス「ホームランバー」発売・最初の自動電気炊飯器を東芝が発売・春闘・深夜喫茶ができはじめる・家電「三種の神器」時代 ・東京通信工業(ソニー)が初のトランジスタラジオを発売・アイデアルの折りたたみ傘がヒット商品に・ケミカルシューズの誕生・マンボスタイルがブームに・ジェームスディーン「エデンの東」で大人気・新村出編「広辞苑」正木ひろし「裁判官」ベストセラー・何と申しましょうか、うれうべき教科書、兵隊の位 が流行語に・28回アカデミー作品賞「マーティ」・カンヌ映画祭最高賞「マーティ」キネマ旬報によるとこの当時の平均映画入場料金は60円、当時の学生アルバイト1日平均賃金250円・テレビ受信契約者数130,400件、
島倉千代子泣きぶしの「この世の花」、高峰秀子「浮雲」

KGB総部放送局黎明期のアルバム

宝塚と花をこよなく愛した君へ

敬称略、青字はKG関係のニュース、現在の名称・社名が違う場合は()に現在の名称明記
各年の最後にアカデミー作品賞・カンヌ映画祭最高賞のパルムドール作品

 KGB総部放送局ができるまで  次へ1955年から

 

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only Japanese. 2011年8月13日 変更

©Mac Fukuda