関西学院大学総部放送局創部60年の歩み4 1966(12期)年-1970(17期)年
|
1966年卒KGB第13期小松局長ほか執行部 |
1966(昭和41)年 |
||
1966年卒13期が3回生だった夏の全局合宿 長野山田温泉にて1966年 |
|||
1967年文学部卒KGB第14期 @関学中芝 |
1967(昭和42)年 ・9月関西学院大学新聞が「昭和43年度学費値上げ内定」を報じる・10月学費値上げに反対する最高戦略決議機関として全学共闘会議が発足・12月7日学院理事会が「43,44年度連続学費値上げを決定」その後学院主催の「学費改定」の説明会が、「学生諸君も苦しかったら、関西学院も苦しいのあります。関西学院もあぶないのであります」と学院側代表者の演説の録音がKGBにはある ・写真の第一次「総部放送局」 の看板を14期安部仁が制作する・毎日お昼の放送で学生運動絡みのニュースが毎日流れた時代「覚えているのは阪急バス値上げ反対運動からはじまりベトナム戦争反対、そして学生運動絡みの学費値上げ闘争のニュース」と当時の局員は語る・「デモの取材でデモのメッカ京都の円山公園、神戸の東遊園地にしょっちゅうデンスケ担いで行った思いでがある」と当時を語る技術部員 ・アメリカがベトナム戦争で枯れ葉剤の使用を開始、べトちゃんドクちゃんの悲劇のはじまり・「ガバチョ」佐藤首相アメリカへ ・羽田乱闘事件・吉田元首相死去、戦後初の国葬・美濃部亮吉、東京都知事に当選・集中豪雨禍で西日本371人、羽越豪雨で146人、台風34号で47人の死者行方不明・全国で干害被害 ・明治大学学費闘争・第二次羽田闘争、京大生死亡・ベトナム戦争の拡大激化・第三次中東戦争・総理府統計局日本の人口1億人と発表・佐藤首相非核三原則を言明・豪雨で電車も止まる ・山陽電車時限爆弾で爆発・中流意識で核家族が流行る・タカラのリカちゃん人形がヒット・本田技研工業のホンダN360-315,000円もヒット商品に・東京キー局カラーテレビ本放送開始・UHFテレビ31局に予備免許・ゴーゴー喫茶アングラ酒場の流行 、どんなとこか行ってみたい?!・ハワイのボクサーの「ヤマトダマシィ」が流行語に・映画ではマカロニウエスタンが流行・アングラ流行・五つの赤い風船「遠い世界に」でデビュー・タイガース「僕のマリー」でデビュー・多湖輝「頭の体操」手塚治虫「火の鳥」ベストセラー・対話、3C、フリーセックスが流行語に・40回アカデミー作品賞「夜の大捜査線」・カンヌ映画祭最高賞「欲望」当時の映画の大人鑑賞料金500円 、デビ夫人クラブミカドのホステスからスカルノ大統領夫人に 当時のアルバムから(13・14期秋山版) 当時のアルバムから(16期成住寛版) |
||
|
1968(昭和43)年 ・学費値上げに伴う学園紛争が起こる・KGB総部放送局内にも運動へ傾倒する者と純粋に放送活動が好きで活動をしたい者とに分かれる。しかしKGB総部放送局としては放送中立公正の立場から、運動に傾倒していた当時の局長は立場上退部。同じ学年の執行部に2人の局長が生まれた時代・時計台前のヒマラヤ杉の大木も全学共闘会議派学生によって無残にも切り倒された「学生側がやったのではない」との言葉も・「1968年からの六項目要求闘争では文化総部、新聞総部、総部放送局、部落問題研究会等と関学生協がサークル闘争委員会をつくり全共闘と共に闘ってきた」との記載が「1969関学せいきょうパンフ」にある・「機動隊に足をひどく蹴られて、いまだにうずくのが当時の嫌な思いで」と語る16期成住談 ・「おーいでみなさん聞いとくれ」水俣病、公害病と認定・「神様お願い」5月日本大学で20億円の使途不明金から学園闘争始まる・「小さな日記」初の心臓移植手術・エンタープライズ入港、異常放射能で衝撃の佐世保、もちろん寄港阻止の闘争から三里塚闘争と闘争、闘争の学生運動時代の日常化「とめてくれるなおっかさん」・川端康成氏ノーベル文学賞受賞・小笠原諸島日本復帰・台風7号死者行方不明133人・政府、明治百年記念の恩赦決定。選挙違反による公民権停止者を大量 救済はだれのため「指圧のこころは母ごころ」・明治百年記念式典で甲山森林公園が整備される・十勝沖地震M7,8 ・三億円事件・イザナギ景気・テレビのカラー化はじまる、カラー受信契約者数1,269,623・ソニーのトリニトロンカラーテレビがヒット商品に118,000円・米ぬ か油事件・ハレンチ学園が流行る ・スカート丈がミニ、ミディ、マキシと多様化・カラーワイシャツブーム・初のレトルト食品「ボンカレー」発売・スポーツバッグのマジソンバッグが流行・ソ連、東欧軍チェコに侵入・キング牧師暗殺、米全土で黒人暴動・ゴールドラッシュと国際通 貨危機・四角い大型青色公衆電話が登場・阪急神戸駅が三宮駅に名称変更・サイケが流行る・ノンポリ学生・岐阜放送、北海道テレビ、テレビ静岡開局・フォーククルセイダース「イムジン河」発売中止・岡林信康「チューリップのアップリケ」 フォーククルセイダース「 悲しくてやりきれない」 高石友也 「 受験生ブルース」がヒット・石川達三「青春の蹉跌」ベストセラー・セクト、ゲバ棒、解放区、ハレンチ、失神、拒絶反応が流行語に・深夜放送がブームに「オールナイトニッポン」「MBSヤングタウン」「OBCバチョン」「ABCヤングリクエスト」「文化放送セイヤング」・41回アカデミー作品賞「オリバー」・カンヌ映画祭最高賞「五月革命のためカンヌ映画祭中止」・新聞の月購読料金660円、ラジオ局48社、VHFテレビ局48社、UHFテレビ局5社 、藤純子「緋牡丹博徒」は全共闘世代に圧倒的支持を受けた、ピンキーとキラーズ「恋の季節」 当時のアルバムから(13・14期秋山版) 当時のアルバムから(16期成住寛版) |
||
|
1969(昭和44)年 ・6月中旬まで関西学院大学は封鎖。卒業式も延期・紛争収拾のための関西学院大学改革に関する学長代行提案・改革結集集会が関西学院発祥の地である原田の森、王子陸上競技場で開催6月・キャンパス封鎖のために延期されていた1968年度卒業式を中央芝生で8月挙行・「六月まで学生は構内に入れず、授業も無かったので私はバイトと免許取得にあけくれてました」とこの年入学した局員談・番組制作発表会はフェスティバルホールの下の小さなホールで開催・キャンパス創意開発機構COD設立各学部の掲示板の所にかけてある青に黄色いラインの「目安箱」 ・「時には母のない子のように」1月東大安田講堂攻防、世界各国で学生運動盛んになる・原子力船むつ進水・アメリカ国防省、沖縄に致死量 のガスの配備を肯定・70年前年の安保闘争・大学立法と紛争の平常化。1月東大安田講堂攻防戦からはじまり、早稲田闘争、京大全学共闘会議(全共闘)が時計台死守闘争、国際反戦デー闘争佐藤アメリカ訪問阻止まで・チクロ騒動など食品公害・牛乳のPCB汚染問題・「やったぜベイビー」アポロ11号、人類初の月着陸・正寿ちゃん殺しなど幼児誘かい続出・年末総選挙・東名高速道路全通 346,7キロ・2ドア式冷凍冷蔵庫発売・プッシュホン電話はじまる・コカコーラ年商26億円で日本一の食品会社に・米の自主流通 米はじまる ・日本初の缶コーヒーUCC上島珈琲のUCC缶コーヒー100円が大ヒット・厚木ナイロン工業のパンティストッキング500円ヒット商品に・パンタロンが全盛期・カルメンマキ「時には母のない子のように」でデビュー・新宿西口広場で反戦ファーク集会・第一回中津川フォークジャンボリー・サンテレビ、福井テレビ、三重テレビなど17社開局・愛知音楽エフエム開局・「黒猫のタンゴ」・庄司薫「赤頭巾チャン気をつけて」べストセラー・エコノミックアニマル、オーモウレツ、教育ママ、情報化社会、ニャロメ、ビーイン、あっと驚くタメゴローが流行語・フーテンの寅さんがはじまる「男はつらいよ」第1作8月封切り・42回アカデミー作品賞「真夜中のカーボーイ」・カンヌ映画祭最高賞「ifもしも」当時の映画の大人鑑賞料金750円、小川ローザ丸善石油のCM「オーモーレツ」、渥美マリ「いそぎんちゃく」、藤圭子「新宿の女」「生命ぎりぎり」、鮎原こずえ「アタックNo1」 |
||
|
1970(昭和45)年 |
||
本ホームページに掲載の文章・写
真・イラストすべての
コンテンツの無断複写・転載を禁じます。
only Japanese. 2011年8月13日 変更
©Mac Fukuda