関西学院大学総部放送局創部60年の歩み番外編 29期田畑局長を偲んで




あのフランドルは今でもありますか?

フランドルと言うおしゃれな「紅茶の美味しい喫茶店」そんな歌ありましたが、ウンスのメンバーがたむろしていた場所がボクはなぜだか好きでした。まぁアナウンスのかわいい女の子がたくさんいて華やかでしたからね。

そう 甲東園駅近くにありました。今でもあるのでしょうか? 田畑晃局長、北村誠人さん、こ野間さん、野木さん、兼ボン、藤田、川合、 森口、福田と言うメンバーでの記念撮影、しかしいつも撮影している私福田が写 っているので牧さんか脇田くんかだれかが撮影したものなのでしょう。いったいなんの集まりなんだ?!と驚く、しかし強烈なばらばらなメンバー集合ではあります。先輩たちはなにかにつけて私たち後輩を喫茶店やどこえやらに誘ってくれ、楽しませてくれました。それに時には叱咤激励してくれ・・


「あのなぁ、まこともうすこし考えやぁ」「それからなぁまこと、そんなこと軽々しく口にだして言わんほうがええで」と故・田畑局長にはしっかり怒られて「もうすこし辛抱せな、おとなにならんとなぁ」と
お世話になりっぱなしの私でした。いまだに辛抱できませんが。よき先輩に巡り合えたと思ってます。仕事でいやになったときはよく職場の阪急や仁川のお宅へもおじゃましておりました。「俺より先に帰ってきて、飯までくうてどうすんねん」と笑いながら愚痴を聞いてくださいましたね。

「そしたら私北村くんはどうなのよ、まこっちゃん」とイッチョかみの北村先輩。なんと瀧川学園でも先輩であり、女っ気無いところで生活してきたせいか純情な、うーぅんコメントしずらい先輩ではありました。ほんまこの人野球部か?とおもうくらい小心者?失礼、こころやさしすぎる北村先輩にもお世話になりましたです。門田さん元気かなぁ?瀧川、関学の後輩にはNHKで活躍の佐伯くんが出世がしらですね。

田畑晃先輩もそうした私たちと同じような三田学園という男ばかりのなかでの高校生活ですから、女性に対しては、ちょいとずれてました。いえね、雨が降っていてもデートには傘は持っていかない主義なんて、、、「あんた井上陽水か」と私に笑われながらも、頭を掻く姿は忘れられません。

しかし純情だったゆかこ姫はそれがステキだったと言ってくれましたねぇ。頭を掻く あのポーズは女ごころをくすぐると、、
それをボクから聞いたあなたは喜んでいましたよね。夢にでてくんですよ、田畑さんの総会での姿がどういうわけか。そう言えばKGBの総会でもいつも頭をポリポリかきながら、喋ってましたね。その次に局長となった某氏も、井上陽水みたいな頭をいつもポリポリ掻いてました。田畑さんが伝染したんですね、あの男に。あの頭を掻くすがたをもう一度だけ見たいと思うのは私だけでしょうか。

 

1992年秋田畑晃局長急死
なんだかあっけない。「なんやあのおっさん、ぼくらとの約束も守らんと」そう兼近くんとふたりで毒舌吐いてました。見本となる先輩を失ったと言うのはほんとつらいもんでした。おかげで田畑さんのように叱ってくれる人がいなくなりボクも兼近も、糸の切れたタコ状態です。田畑さん「まことの結婚式には出たいなぁ」って言って心配をしてくださいましたね、約束ははたさんといかんぜよ。こんなボクでも結婚でき、子どももさずかりました。ありがとうございます。
1992年11月23日アメフト関学京大戦の後のKGB29期の集まり、田畑さんを偲ぶ会で、田畑執行部の第29期のメンバーの写 真





 


1981年撮影



大学祭での放送祭は局室の前の広場に
サテライトスタジオを組んでの催し



1981(昭和56)年8月22-27日
KGB全局合宿場所は長野県白樺湖にて




80年代 の総部放送局建物、現在の関西学院大学の学生課、就職課の入る建物付近にあった。この建物は総部放送局と混声合唱団エゴラドが入居。

The Wonderful World of KGB
ぼくらは青春の道で熱くなる。

と言うコピーが書かれている渉外部からの手紙
KGB規約第5章「本部は本総部の事務執行機関であり、副局長、情宣部、運営部、経理部、総務部、渉外部で組織する」
本章第8条「渉外部長は渉外部を統括し、学外組織との対外交流の任務を行なう」これは1980年度の規約より制定されたものでこの年から関西の各大学との交流や合同モニター会などを推進するために渉外部が設置された。

そうした中での合同モニター会やのちの関西学生放送交流会議を結成するにあたっての報告などがこうした冊子に書かれている。各執行部ごとにこうしたカタチの冊子は随時出されていた。しかし当時はワープロなどなく、がり版にがりがり書いていた。そのため手が腱鞘炎になるのではと真剣に心配した。



自由・Freedom・・・我がKGBの雰囲気を伝える一言にこの言葉を選びました。「自由とは何か?」おそらくそこまで深くの事を考えている局員は少ないでしょう。それくらいのいい加減さも含んだ自由という意味なのです。

ギャグ・・・笑いのセンスは局員にとって不可欠のものです。とにかく良く笑う。局員はギャグを養分にしてどんどん太ってゆき、ますますギャグのセンスの免疫が身に付いてゆきます。そして、やがてユーモアの感覚が麻痺しはじめ、知らないうちに外部から孤立化した世界を作っているかもしれないのです。したがって「みんな愉快で明朗な人たち」という言い方は、おそれおおくてできないのであります。時として、異常とも思えるマニアックな笑いを求めるため、局長は頭をかかえているのです。

あたま・・・星の数には及ばないが除夜の鐘では足りないくらいの人数がいます。人は無くて七癖、あって四十八癖といいますから、たいがいの性癖はKGBで網羅されているのです。純情、生真面 目、ふらち、男色・・・なんでもそろっているのであります。

青春・・・昨今の流行にたがわず、青春という言葉に局員は敏感に反応します。勿論、青春という言葉を純粋にかみしめるのではなく、フォークギターやユースホステルに連想される青春を笑いとしてひきあいに出しているのです。しかし、本当は「青い」「春」はうしろめたく、ほろにがいものだということを誰もが知っているのであります。ただ、しみじみと青春を謳歌するにはまだ若すぎるのであります。そして、今日もはにかみ屋さんたちは青春をこけにして精一杯がんがっているのです。

流行・・・さすがに放送部、流行にはうるさいと言いたいところではありますが、およそ流行のあかをせんじることもできないような人も居れば百年後の流行を先取りしたようなキンキラキンもいる。でも全体的にはやや地味な傾向ではないでしょうか。

男と女・・・こればかりはナゾにつつまれた部分が多いのです。うわさはうわさを呼び起こし、うわさの大群が真実をめぐって大禍を巻くのであります。そのての情報が広がる早さはさすがに放送局、ここにありという感があります。誤報、中傷、おせっかい、でもこんなことに夢中でいられるのは幸せなのかもしれません。

これはこの時代に神戸地区の合同番組発表会用のパンフレット(上の写真のモノクロのイラストのもの)に関学総部放送局の紹介記事として当時の渉外部が書いたものです。

 

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only Japanese. 2011年8月13日 変更

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