関西学院大学総部放送局創部60年の歩み〜50期からの手紙

KGB第50代の思い出

 1999年 入学  歴代考えても比較的多くの同期が、KGBに来ました。非常に仲が良く、全局合宿以外にも、みなで有馬温泉なんかに行ったりした。男性陣は特に濃いメンバーが中核となり、薄いメンバーはその後残念ながら去っていき、ますます煮詰まっていった感があります。それに比して女性陣は、大人であったと思います。ある意味女性陣が、お姉さん的存在であったのではないでしょうか?


  2000年 2年  51代がこれまた比較的多く集まり局員の実働人数が急に増えました。  その分、色恋沙汰含めた人間関係が複雑でありました。   そして、2年はイベントヘッドを任される年でありました。  春には、OPEN-DJ、ビデオ看板、新入生歓迎屋内イベント、OPEN-OnAirが開催された。  


  秋には、OPEN-DJ、番組発表会、三田キャンパスにおけるアウトドアイベント、MEGA QUIZ SHOWが開催されました。各々個性的なヘッドの元、その過程も含めて(リハーサルの雰囲気など)独特でした。特にMEGA QUIZ SHOWは大方の予想に反して社学の大教室を満員にして入りきらないほどの人が訪れ大成功を収めました。 いわゆるイベントマジックが多く起き、多くの人が春を迎えました。後に結婚した局員もいます。 六・一企画RIN-RI-RINが行われ、この時これに参加したメンバーがその後の局での立ち位 置を決めることとなりました。  


  大学祭実行委員会・財務管理委員会・会計監査委員会に参加して頂いた同期には、この場を借りて深く感謝致します。 2001年 KGBの歴史に一ページを  50代のテーマは「口笛坂」。人生苦しいときが上り坂。しかし、進んでばかりも疲れるので、たまには休んで口笛を吹くくらいの余裕を持とう、という意味を込めました。  


  世界的なIT化の波が局にも訪れたのがこの年です。テレコは過去のものとなりMDが主流となりました。(そのMDもまた過去のものとなりましたが。) また、映像においてもデジタル化が進みました。これにより一気に映像作品の幅が広がりました。しかし、以降映像が重宝され、音声の進歩があまりなくなってしまう傾向にあるのは残念に思います。(ワイヤレスマイクの早期導入を望みます。)  


  六・一では、従来の学生会再興論議が限界に達しつつありました。  私は結論を出したかったのですが、結局路線維持となったのが今でも悔いに思います。  そして、悪夢の六一企画「後夜祭」が行われました。  


  三田支局設立に向け、特命プロジェクト「フラグメンツ」が立ち上がる。この年、理学部の三田キャンパスへの移転が行われ、三田支局設立は急務となっていた。成果 としては、三田キャンパスで昼休みのイベント「肉彦くん」を行うことが出来ました。 また理学部の局員も50代にいました。(50代には総合政策部の局員もおり、三田キャンパス生は2名となった。彼らは最後まで上ヶ原の局室に足を運んで活躍してくれた。よく考えたら大変な苦労だと思う。ありがとう。)  


  51代ヘッドの元で、MEGA QUIZ SHOWを超えるとの掛け声のもと、「腕力番付」というアームレスリングによるイベントが行われ、これまた中央講堂を満員にする大盛況を記録する。  またこの年にKGB創部50周年記念行事が行われ、多くのOB・OGの方々のご協力の元、無事取り行われました。ありがとうございます。 思えばそれからもう10年経つというのは恐ろしく速い。あの頃の僕が見たら、卒倒しそうな僕がここにいる。  


「生きとし生けるもの全てが、自由に、平等に、明るく 楽しく暮らせる、幸福と優しさと善意に満ちた世界を、要求する!」という「ザ・ワールド・イズ・マイン」(新井英樹著)の言葉を引用した執行部総括をもって、引退した。 尚、この年は9・11テロが起こりました。 このテロの前に、アメリカ一国大国主義状態を皮肉る「アメリカ万歳!」を企画するも企画倒れになりました。やっていれば先進的な発想であったのに残念です。


4年生 卒業・引退  実質引退となり、某渉外副局長は六・一副議長、某50代局長は六・一書記長となる。しかし、実働したのは某渉外副局長だけであった。  


  いわゆる就職氷河期。みな就活には大変難儀した。今は当時より厳しいとか。想像を絶します。現役のみなさん、頑張ってください。  従来の選挙制度に疑問を抱いていた某50代局長がこの年、選挙管理委員会委員長となり、IT技術を選挙制度に導入した「ユビキタス選挙」が行われる。従来の長時間に及ぶ選挙での問答を改め、メーリングリストを使用して、全局員がこのシステムに登録し、いつでも選挙人に対し質問が出来、選挙人はまとめて効率的に回答をすることによって、集まって選挙の問答をする時間を極力減らすことを目的としたが、企画倒れとなった。 しかしこの発想は、現在のソーシャルネットワーキングサービスに似通るところがあり、僕はFACE BOOKのマークザッカーバーグになれたのかもと思うと悔しくて夜も眠れない(苦笑)  


  その後  50代を中心とした飲み会が、卒業後も4年間ほど、定期的に春(GW)・夏(お盆)・秋(学祭時)に行われ下級生も含めて、50人程度集まる大規模な飲み会が数年前まで行われていたが、某50代局長の求心力が低下し、今は下火。それでも50代はなんだかんでみな仲がいいと思っております。  


  現役の方へ  是非、悲願である映像によるKGBニュースの学内放送をして欲しいと思います。また、YouTube、ユーストリームなど多数のインターネット上にある動画投稿サイトを活用して、KGBを世界に発信して欲しいと思います。 文責・白石和也
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