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関西学院大学総部放送局創部60年の歩み〜45期からの手紙
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1994年入学、45代目です
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1年生時。 この年は1年なのでまぁ、特に何も深く考えず、という感じでしたが。
「今年の1年はポケベル持ってる世代なんか!」と先輩方に驚愕されたような気がします、まだ数字打ちしかできない時代の話です。
年明けてすぐ、阪神淡路大震災。 不幸中の幸いで人的被害も物損もありませんでしたが、地震後に同期の半数くらいは退局してしまいました。 ただ、その後はほとんど離脱なかったような。 2年生時。 2年になってなんやかや変えていこうと模索した年、 大学祭でのFMを廃止したのは僕らの代です、先輩のみなさまごめんなさい。。 そのかわり、OPEN-DJを始めたのも僕らの代です。 あと、三田イベントを開校1年目から打ちました、六総部の使命ということで。 KGB34期の方々のご協力をいただき、三田市各所からの中継とかやってたような記憶があります、 今は三田生の局員もいらっしゃるようで隔世の感です。 そして、それまで恒例だった局のクリスマスパーティーを廃止したのも僕らの代です、 先輩のみなさま、そしてこれはもしかしたら後輩の皆様も、ごめんなさい。 3年生時。 いよいよ、これまで以上にみんな好き勝手にいろんなことをやってました。 OnAirでいうと、アメフト部とのタイアップ番組「JumpUpFighters」、とある局員個人をフューチャーした「TAIGA TIME」、HardRock/HeavyMetalの「PowerRock」、ポップス路線の「CuteBeatCollection」などの番組を制作。 また、前年のOPEN-DJがそこそこ評判よかった、ということで図に乗って?OPEN-OnAirをはじめたりしました。 しかしながら、コールをパッケージにしたのがこの年、僕らの代です。 先輩のみなさまごめんなさい。。 ニュースでもバラエティ要素とりいれて「ここで一句」とか読ませてたような・・ そんな、45代の近況は・・・ すいません、ほとんどわかりません。 現役当時から個人主義が強かったんですね、ぼくたち。 ご多分に洩れず局内恋愛は少なくなかったですが、見事ゴールインしたのは一組だけ、のはず。 2002年くらいですかねぇ、彼らの結婚式に45〜47代の局員が多く集まって、 盛大にパーティーを行いました。 それ以来、会ってないひとが大半です、 むしろ僕らの代の消息を知っているひとがいらっしゃったら、 Twitter:@air_chariotにまでご一報ください。文責・前田 |
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only Japanese. 2011年8月13日 変更
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