関西学院大学総部放送局創部60年の歩み〜31期からの手紙

 あの頃の、、、
31期の特徴的出来事

 今から5年位前に同期の田丸一男君、一期下の森本栄浩君(二人とも現在MBSのアナウンサー)と飲み会をやったのですが、その席でいつしか二人がアナウンサーの在り方について激論を始めたときには、その姿に中央芝生で発声練習をしていた学生時代の彼らが二重写 しになり「あの頃と変わらず、彼らは幸せだな」と思いつつ、私自身もしばらく忘れていたKGBのことが懐かしく思えました。


  31期生が入学した昭和55年当時大学はレジャーランド化していると言われ、受験勉強で疲れた頭を大学の4年間で癒し、社会人になっていくような風潮であったように思います。関学も”上ヶ原牧場”と言われておりました。


 当時の日本は、エズラ・ボーゲルが書いた『ジャパンアズナンバーワン』がベストセラーとなり、高度経済成長を実現した日本的経営が三種の神器(終身雇用、年功序列、労使協調型の企業内労働組合)などと言われ、もてはやされていました。就職活動は4年生の7月くらいからで、後のバブル組ほどはよくはなかったものの、今ほどの就職難ではなかったです。


  また、今では考えられないですが、一部業界では内定した学生が他の会社へ行かないように、接待付けにするとか、ハワイ旅行に連れて行くとかなどということも行われておりました。当時の関学の学生の傾向としてはおおむね大企業志向、安定志向で、今で言う『就活』にも熱心ではあり、企業側からも比較的受けのいい大学であったように思います。


  そんな中、KGBのメンバーは少し異色で、硬軟いろいろおりましたが、共通 するのは『なにかを創りたい』という創造意欲に飢えた面々が集う稀有な集団であったように思います。そのせいかどうかは分かりませんが、当時の関学は就職に比較的強かったにもかかわらず、私を含め、59年卒の名簿の男子のうち半分は留年して実は60年卒でした。


  普段の活動は、ラジオドラマ、音声の報道番組(『録音構成』と呼んでました)、昼のDJ番組等で、学園祭では、ミュージカル(京大『卒塔婆小町』の影響もあったような)、クイズ・トーク番組、プロレス興行の真似事などいろんなジャンルに挑戦しておりました。


  局室前のサテライトスタジオでのプロレス興行の真似事は私の思いつきだったのですが、前出の森本栄浩君がレスラー役を演じ、実況は現在ABCプロデューサーの板井昭浩君という豪華キャストでした。後日談として、その様子を関学のプロレス研究会が見ていたらしく、これがきっかけとなり、翌年は中央講堂で今度はアナウンサー森本君の実況でかなりハイレベルなレスリングをされたと聞いております。


  一方、1年上には社会派の兼近修身さんがおられ、彼自身の大阪西成のあいりん地区での取材をもとにした報道番組を聴かされたときにはその迫力に圧倒された記憶があります。


  私たちが卒業してからしばらくして日本経済はバブルに突入し、その崩壊、失われた20年と大きく変貌していきました。そんな中で31期生もそろそろ50歳を迎え、政治、経済など様々な世界で中心的な役割を担わなければならない年齢になってきつつあります。


  残念ながら、私は59卒の面々の近況については人を通じてうかがい知る程度で、あまりよく存じ上げていないもので、卒業後面 々がどんな風に変貌を遂げているのか、60周年同窓会が楽しみです。 文責・内橋慎一、ボクは60年卒
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only Japanese. 2011年8月13日 変更

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