ばたやんに、よく話しかけていた友がいた。「組織は人をだめにするよなぁ。自分たちの集団さえよければ、ええんよ」「なんかこの不平等で成り立つ社会で生活せなあかん、どうしたらええやろか。ばたやんはどうおもう」
「人は好き嫌いで判断しよる。人は根本の水の原子はなにとなに、なんてこと考えんようにしている。いちいち考えていたら生活できへんからや。お前もすきなことだけして、おったらええ」
人を導くリーダーってこんな人のことを言うのか、そうおもったのがKGBだった。私が入部したときの局長が28期・局内結婚の吉田昌也さん、そして次の局長が29期・局内結婚の田畑晃さん、娘さんはベリーダンスを踊る東京外大生。そして30期・ふたりの子どもに手を焼く兼近修身くん、31期・某大学の制服があった疑惑の山田実くん、そして32期がご近所の森下浩くん、先日ドラマの同窓会で一緒にタクシー乗るまでわからんかった。
KGBは六総部ということで、財務管理委員会、選挙管理委員会などの局外の仕事も多かった。その上、学生運動で破壊された大学間の放送部の繋がりをもつために、その団体・関西学生放送交流会議を立ち上げようと当時していた。そのため私は立命館大学、龍谷大学、大阪経済大学、近畿大学、甲南大学、神戸学院大学の放送部にはたいへんお世話になった。ありがとうございます。「まこっちゃん、第三コーナーをまわって女子大の名前が入ってへんで」と立命の宮本英樹くんのええ声が聞えそうだ。
龍谷大学では、恒例打ち上げ?の池に掘り込まれ龍谷大学局長の奥さまにパンツを洗ってもらうはめに。「まこっちゃん、うちの一二を争う女子局員にパンツ洗ろてもうて、ええなぁ、、」としぶい声で畑中ふーくんに羨ましそうにからかわれ。本来のお昼の放送をしたいというおもいとは裏腹に、メンドクサしんどい、でも楽しい仕事があったのが現実だった。本音ばかりを言える時代でもなかった気がする。
当時は18時で「ロックアウト」体制、図書館や施設は閉まった。私が実験実習が終わるのが18時過ぎなので、ほんとに困った。まだ学生運動の痕が残っていた。理学部の某Wくんは神戸女学院の女の子と図書館前に6時半に待ち合わせしてえらいめにあったとぼやいていた。
当局なんて言葉もふつうに使われていた。なにか言うと「そんなことしたら大学当局に」とか「就職で不利になるとか」そんな言葉が学生間でつぶやかれていたあほうな時代。当時の局室は、6時で閉められた門の外にあり自由きままだった。お腹がすけば、目の前は生協の食堂、いい物件だった。ボクは生協の学生代表もしていて領家先生にかわいがられ、生協のコックのおっちゃんにもかわいがられ、メニューにないもんをもらっていた。
ばたやんは、それを横目でうらやまし欲しそうに視ていた。
KGB総部放送局の立派な看板だおれなあばら屋、エゴラドと共有の一軒家。当時はこたつまで持込んで住んでいる人がいた? 地下室を作るのだと息巻いていた人もいた。「それよりも掘りごたつを作って」とちんぷう清風寮の住人さんが言っていた。朝起きたら、エゴラドの扉からも人が出て来て驚いた。
「関学さんの部員は、みんな働きものですね」と松陰女子大学放送部のかわいい女の子から言われた。その意味がわからなかった。「パートさんで働いてる、とお聞きしましたよ」そうなのだ。技術パート、これ一番最初に書かんとな田部さん気わるしよる、そして制作パート、報道パート、それからドラマパートにアナウンスパートで「みんなパートさんとして働いちょる」。それでいいのだ。
それ以外にも執行部、経理、情宣、総務、運営、雀荘、渉外のそれぞれの部にも所属しなくてはいけなかった。例えば渉外部なら、他大学との会議、交渉、親睦などを渉外部員がする。「局室おるより、ほかの大学行ってる方がなんぼか気が楽で楽しいわぁ。総会の時に神戸や姫路で放送祭ないの?」と部長の私に聞いた子もいた。ほやなぁ、あんたは頼もしいわぁ。
お昼の帯番組は水曜日は『キャンパスナウ』金曜日は『ダイナミックフライディ』。ほかの曜日は、単発、シーズン企画。わたしは他の大学の放送部の人を連れて来て、当時報道パートで制作していた番組『キャンパスナウ』に出演させると、問題があると反感をかった。ニュースはアナウンスパートが読むべきものという建前もあったが、『キャンパスナウ』はドラマパートの人もニュースを読んでいた。またアルバイトでマスコミに出演するのも、なんだか波風が吹く感じであった。
局内外でおこる、こうした摩擦も、局長はうまく導いていってくれてたとおもう。好きや嫌いや、それは男女の仲だけにしてほしいわぁ、とおもうこともしばしば。ほんとたいへんだったろうと。お疲れさま、ところで大浦さんや兼ぼんの話しばっかり聴かんと、ボクの話しもきいてくださいよ、、と言いたい田畑晃局長はもう居ない。
追伸 29期・田畑晃さん、30期・檀上正樹くん、32期・松本陽子さん、一緒に同窓会を楽しんでください。
文責・福田まこと
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