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関西学院大学総部放送局創部60年の歩み〜27期からの手紙
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関西学院ではここで
キリンを飼うことになりました |
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1978年の夏休み、中央講堂横の空き地が工事用の塀で囲われました。そしてある日、塀に「この度、関西学院ではここでキリンを飼うことになりました。ついてはキリンの名前を募集します。」との貼り紙が・・
「キリンが来るんやって!」と信じた人も結構いたようですが、もちろん誰かのイタズラです。 でも、そのウソのセンスの良さに大学も容認したのでしょうか?1ヶ月くらいその貼り紙は堂々と貼られたままでした。 学生運動のなごりがまだあちこちに残る上ヶ原を飾る、私たちには、記憶に残るエピソードです。 78年の新月祭、局室前の特設ステージではフィーリングカップル5対5やサテスタで盛り上がり、局舎の屋根ではチロリン(28期浜田君)が電線マン音頭を踊り、技術パートは中芝のイルミ張りやPA仕事に追われました。 夏の全局合宿最終日の朝食で「いただきます」「ごちそうさまでした」を誰が言うかに男子の視線が集中したこと、局室側の業者食堂が火事になり大慌てしたことも今となっては懐かしい思い出です。 また、甲南サービスやFM大阪のテープ処理、ニュース原稿整理など先輩から代々引き継がれたアルバイトも色々ありました。ことに甲南サービスは、夜間の駅清掃という3Kそのものでしたが、下宿生にとっては命をつなぐ大事な収入源でした。 下宿で剣菱を飲んでいるか、KGBで喧々諤々やっているかの三輪局長。 そんな局長以下、なぜか気のあうメンツが揃ったわれわれ27期は、1976年から80年にかけての4年間、それはそれはKGBべったりで過ごしたのでした。授業に出ない日はあっても局室に顔を出さない日はない。そんな濃いい夢のような時間を共有した仲間は、卒業後30年以上たった今でも、甲子園ボウルなど機会があれば顔を会わせ昔話に花を咲かせる関係が続いています。文責・高木一洋 |
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