関西学院大学総部放送局創部60年の歩み〜20期からの手紙


KGB初の女子技術部員誕生!
 昭和44年入学のこの年は、学生運動の終末期で学生が最も激しく国家権力や大学当局に抵抗した時期でした。同年、東京大学安田講堂で学生と機動隊が衝突した映像がテレビで放映され、ずーっと画面 に釘付けになっていたのを思い出します。そのため、東京大学で入試が実施されなかった唯一の年でもありました。


  関学も紛争中。入試当日、道路脇には盾をもった機動隊が並び、空ではヘリコプターがうるさく飛んでいました。当時の第5別 館を砦とした学生と機動隊との攻防戦が繰り広げられ、この影響でこの年の入学式は7月に行われ、4月〜6月までは自宅待機でレポート提出、8月は夏休みを返上し前期の授業となりました。エアコンの無い教室での真夏の授業は、先生も私たちも汗だくで文字どおり暑い夏となりました。


  その後、学内は授業もクラブ活動も平穏を取り戻し、学生運動で提示された課題があたかも全て解決されたかのように、私たちの普段の生活も日常に埋没していきました。


  そのような中、私たちは様々な目的や興味をもって、KGBの部室に足を運びました。 部室には、学生運動の名残りが多々ありました。つまり、どこに座ればいいのと言うほど汚い部室だったのです。が、諸先輩が’暖かく’新入生歓迎会、夏合宿やコンパ、麻雀にバイトなど、大学生への扉を開いて下さり、楽しい思い出をつくることが出来ました。


  特に、部室を離れた毎年の夏合宿は、風光明媚な信州の湖畔の宿が多く、そこで行われたミーティング、ソフトボール大会などの行事を通 じて、私たちはより親睦を深めることが出来ました。それを契機にほのかな愛を育んだ方もおられたと記憶しています。


  20期のエピソードというのは特にありませんが、KGBで初めて女性技術部員が誕生した年でもありました。これを皮切りに、女性の技術部員が増えていったのを覚えています。またその後、技術部からアナウンス部や報道部へ異動する人もみえました。 私たち20期は、幸いなことに今年までに全員元気で還暦を迎えました。同期だけでの集まりはたまにしかありませんが、一部女性陣だけは年に1回、毎年旅行を実施しています。これからも、皆それぞれの人生を健康で楽しく過ごせるよう願っています。
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only Japanese. 2011年8月13日 変更

©Mac Fukuda