「とりまる駅おりてバスにのって立命館は行くねんて」
「アホかおまえ、鳥とちゃうやろ。からすや。だからからすまる駅や、そんなんやったら立命なんて通
らへんで」そう言った友は確かに立命館に入学した。
立命館の試験の後、あろうことか私は女の子と京福電鉄に乗って嵐山に散歩に出かけた。
「京福ってふざけた名前。京都と福井をつなぐなんて夢のような話しやん」
「え、ほんま。すごいこと考えるやつもいるもんやなぁ」そんなこと言いながら路面
電車と言ったほうがいい、おせいじにもきれいとは言いがたい、しかし味の有る電車に揺られていた。そのときは、もう入学試験の結果
は不合格だということは自分自身わかっていた。
「この電車ええなぁ。立命館に入学したら、この沿線に下宿してこの電車で通
うわ」
「それって、下宿する意味ないんとちゃうの」
でも、高校生の私は真剣に嵐山に下宿して、電車で立命館に通うことを夢見ていたのだ。しかし、それは夢でしかなかった。彼女は立命館ではなく同志社に入学し、ぼくは予備校に入学した。それにしてもいまだに思う。「烏丸」と書いて、さぁ今このホームページを見ているあなた、何人読める。いや、これは答え書いてしまったから「帷子ノ辻」と書いて、さぁ何と読む。ほんま京都の地名って読めんで。京都の人でも、読めん人おるもん。京都の大学に近畿以外から受験する人なんて災難の何ものでもないね、この地名で、いきなりパンチやもん。そんでもって京都弁にしきたり、こりゃまいるで。でも立命館に入学したからすまる君も「からすま」とは読めんかった。それでも入学したんだし、それなに?って言ってた彼女は同志社や。そんなもんやで、受験生諸君。まぁ、京都ではあんまりきばらんほうがええのとちゃうか。
私も一浪したけど、ちゃんと大学には入学した。受験生はあんまり心配せんと。京都の大学ではなかったけれど。だって、あんな読めん漢字のとこには住めん。しかし私が入学した大学の名が「くわんせいがくいん」なんて読むのにも、びっくり、笑ってしまったが。でも今思うと京都に4年間下宿もしたかった。そしたら春は毎日京都の桜めぐりや。そんな浮世離れしたことを考えた。毎日桜見物しても、したりんで。そう思うくらい桜は京都の至る所に咲く。しかし思うに京都の漢字は読めんから、何処に行ったか覚えてなくて、同じ所でお花見にしてるだけやった、てな落語みたいなおちやったりして。京都に住んでる人はみんな漢字読めるんやろか。それにつけても看板くらいふりがなを打って欲しいと思とるのはぼくだけやろか。嵐山の桜を観ながらそんなことを思い出した。きっと京都の地名をこうしてパソコンに打ち込むのは大変な苦労なんやろなぁ。
嵐山の桜は桜にまつわる逸話の多い後醍醐天皇を供養するため足利尊氏が命じて夢窓疎石が奈良吉野から多くの山桜を取り寄せたと言われている。山のあちこちに山桜がみられるが、いまでは大堰川・桂川沿いにソメイヨシノも多く植えられて京都の桜の名所となっている。山里の雰囲気で静かに彼女と散策できるのもいい。
*このページの製作年は2000年、データ内容は当時のものです*
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