なにわのことも 夢のまたゆめ 
豊臣秀吉

大阪城の桜を観るなら西の丸庭園

 大阪の観光地と言えばひと昔まえまでは「大阪城」だった気がする。しかし今ではJR東西線開通 などで交通機関が便利になったのに、あまり関西に観光に行って大阪城に行ったと言う話しはまず聞かない。吉本や甲子園球場が大阪の観光地になっている。甲子園球場周辺にも桜の木があり美しいのではあるが、甲子園は大阪ではなく、兵庫県西宮市だ。私の感覚では大阪城の桜シーズンも人出は思いのほか少ない。大阪城がある大阪城公園は巨大な公園なので少なく思えるのかな、とも思ってみたが今年2000年姫路城の桜のあと、大阪城の桜を見に行って、やはりお花見している人は少なかった。桜は城址には染井吉野と言われるほど多いが、ここ大阪城公園内には4.300本もの桜が咲く。日本桜の会が選んだ「さくらの名所百選」にも大阪城西の丸庭園が選ばれている。写 真も西の丸庭園から撮影したもの。

  大阪城は戦国時代石山本願寺の跡地に豊臣秀吉が天下統一の拠点として1583(天正11)年から15年の歳月をかけ出来上がった。石造りの巨城と言われ城域が四方2キロを越し難攻不落の城とも言われた。が冬の陣のあと徳川軍の手で外堀が埋められ、1615年夏の陣で落城炎上した。ここまでは日本史の教科書などで知っていることなのだが、なぜが人は今の天守閣が秀吉時代の天守閣が復興されたものと思いがちだ。私もそのひとりで現在の鉄筋コンクリート造り5層8階建ての天守閣内にある歴史博物館で、色々な発見をした。現存する遺構は1620(元和6)年から10年がかりで徳川幕府が築城したもの。天守閣は焼失したものを、市民の熱意で1931(昭和6)年復興したもので、江戸時代の天守閣が復興されてしまった。豊臣秀吉の天守閣とは建っている位 置も違うし、外観も違う。どうしてなんだろうと、なぜ徳川の城をありがたがらなければならないのだ。大阪城といえば太閤秀吉の城が大阪城ではないのだろうか。これは重要なポイントだと思う。

 今のあまりパッとしない野暮ったい大阪城と豊臣秀吉が結びつかなかったが、これでわかった。江戸の城をありがたがる大阪人もいないでしょうに。歴史博物館の資料でみると、豊臣秀吉の天守閣は5層望楼式の城で金箔が張られ、黒ウルシに黒漆喰を使い精悍な感じがする城にみえる。あぁ、そんな大阪城を一度見てみたい、そんな気持ちが湧いてくるのだ。そんな事実を知ると、なんだか徳川さんの城なら秀吉の大阪城のイメージがわかんわな、それでか人出が少ないのも、なんて思ってしまった春のおぼろ、ゆめのまた夢。



*このページの製作年は2000年、データ内容は当時のものです*
天守閣から見た西の丸庭園・・豊海秀吉時代は御殿が建並び、秀吉没後正室の「北の政所」た一時住み、
その後1600(慶長5)年関ヶ原の合戦までは徳川家康が移り住んだ。

豊臣秀吉ゆかりの桜の名所
有馬の善福寺京都醍醐寺の桜大宇陀の又兵衛桜
諏訪湖の枝垂れ桜

 

 


撮影
2000年4月14日
場所
大阪府大阪市中央区大阪城1-1
交通
西の丸庭園には京阪・地下鉄谷町線天満駅が便利このほかJR環状線大阪城公園駅など公園のまわい東西南北色々なところから徒歩
問い合わせ先
06(6941)1144大阪市東部方面公園事務所
情報
桜の開花にあわせてライトアップ。
西の丸庭園の開園は3月下旬から、入園料350円。

 

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