人知れず 湖畔にたたずむ
           わが姿

諏訪湖高木の枝垂れ桜

  今では春到来の行事としては私たちの生活に欠かせなくなった「桜のお花見」。そう言わなくてもお花見と言えば桜になってしまう。そんな習慣を知らしめたのが太閤さん、豊臣秀吉。そんな桜を愛した太閤秀吉と縁のある桜が諏訪湖の湖畔に何本もある。樹齢約300年から400年の立派な桜の巨木だが、ひっそりとだれに観られることもなく、ひとり諏訪湖を観ながらたたずんでいる。それが写 真の枝垂れ桜だ。横には送電線の鉄塔が高く建ちあまりよい眺めではないが、優雅な枝垂れ桜ごしに諏訪湖を臨むことができる。

  北海道では1999年、SLを撮影するのに邪魔だと線路沿いの並木がカメラマンに切り倒される事件があったが、それならこちらの鉄塔の方がいくらか邪魔だし、諏訪湖の美観にも悪い、何とかしろと署名集めでもしてくれないか。一度壊すと自然は元には戻らない、桜も一度傷つくと弱ってしまいなかなか回復してくれない。それでいいのだと主張するだめな連中に限って自分の体が弱ってくると、何とかしろと騒ぎ立てる。自分だって自然の中の一個の人間に過ぎないのに、さんざんテメイの私利私欲で散々なことやってきて、なんだ今さらと言ってやる医者はいないのか。お金もうけだけが医者の仕事とちがうぞ。俺がこんなに町を発展させたのだ、とテメイの勲章の様に泣き叫ぶだけのお役人先生がた。ほんと先生と呼ばれるやからにろくなものはいない。そんなにハコモノと呼ばれるものを人様の税金で造って、その揚げ句に自分の名前を入れた碑なんかをたててやがる。あぁ、本当に100年先、千年先にこんなすばらしいことを残してくれた私たちの町の人は・・・と呼ばれるような人はいないのか。

  こんなことを考えながら、同じ桜の花をつけても、こんなにも扱いは違うのだと、観ていて哀れに思った諏訪湖の枝垂れ桜。1615(元和元)年藩主・諏訪頼水の子忠恒、大坂夏の陣に出陣し、帰藩の際に記念として持ち帰ってた桜の苗木を藩士に分けたのがこの一帯の枝垂れ桜のはじまりとされている。太閤のお花見の京都醍醐寺にも、優雅な枝垂れ桜が数多く現在も咲く。京都がなんで桜の名所かと言えば、どこの桜も人が愛でてくれるからだ。そのために桜守りをする人もいて、桜の手入れが行き届いている。この諏訪を長く見つめてきた桜ももう少し大切にされれば、と思う。湖畔に桜を植えるのもいいのだが、もとからあるものを大切にしなくては湖畔の桜の苗だって育たない気がする。桜だって人に見向きもされなければ、嫌になってくるものだと思う。生きているものとはみなそんなものだと私は思う。

  高島城の遺構として残る山門(三門)薬医門がある温泉寺にも枝垂れ桜が多い。古い地図によると、温泉寺の墓へ続く道は桜大門と呼ばれ、枝垂れ桜の花並木となっている。が、今は数本の桜が残るだけ。この道を登り詰めた所に高島藩歴代の藩主の廟所がある。数本残る枝垂れ桜と湖畔に咲く桜とは花も似ており、樹齢も同じ様なことから同じ出所の桜と思われる。また「諏訪の浮城」として名高い高島城は、明治の廃藩置県で取り壊された城郭が20数年前復元されて美しい姿を湖面 に映し出す。しかし、諏訪と言うより今の時代はセイコーエプソンの町・諏訪と言ったほうがとおりは早いかもしれない。

*このページの製作年は1999年、データ内容は当時のものです*
                
撮影は1999年4月20日
場所 
上の写真・長野県諏訪郡下諏訪町高木
温泉寺・長野県諏訪市湯の脇1丁目温泉寺 
交通 
JR中央本線上諏訪駅下車、
中央自動車道上諏訪ICからルート20で約5キロ 
問い合わせ
諏訪市観光協会0266-58-0210
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