たこなはなしでめでたい明石の桜

明石焼の舟を片手に穏やかな春のころはのどかけらまし

 桜は都の象徴だとする見解を言う人がいるが、確かに東京都の花は「ソメイヨシノ」で京都府の花は「シダレザクラ」、奈良市のマークも桜ではあるが、桜を権力と結びつけたいような感じで私は嫌なのだ。都の花と呼ぶのなら、それだけ東京とは桜を大切にしている人が住んでいるのか?それより樹齢千年を超える桜の花を大切に今もみ守る地域の人々の方がすばらしいに決まっている。だいたい都会と呼ばれる市街地の桜は役所やその天下りの会社が管理していて、その桜のご近所さんが大切にしているとは思えない。そこが都市に住む人の自然に対する愛情のなさと違うんやろか。桜が都の象徴なんてのはあとからこじつけたもので、純粋に桜の花をはじめ自然に咲く花を私たちの遠い先祖はめでて大切にしてきたことのほうが大事だろう。また今後も花鳥風月を楽しむべきで、そのために労力も必要なのだ。

 「ソメイヨシノ」が園芸品種として開発されたのが江戸末期だから1800年代後半だ、たかだか200年も経っていないのだ。それまで江戸には桜があまりなかった、活着率の良いソメイヨシノが開発されたのだろう。古くは奈良吉野山のようにヤマザクラやヒガンザクラが群生する桜の名所はあったに違いない。そんな地域と比べたら「桜は都の象徴」なんて何それ?なんである。確かにマスコミも役人も桜を守る会なんてのも、何もかも東京に集中している、だから東京が一番なんだ、そういう考えにもなるだろう。桜イコール「ソメイヨシノ」にしてしまった人達はこうした人達である。悲しいことに、まわりにソメイヨシノ桜しか咲いていなかった。

  私はこんな考え方はほんまヘンだと思うので、この桜のホームページを制作している。 桜が嫌いな私の友人に言わせると「桜イコール権力」なのだそうだ。ソメイヨシノは日露戦争の戦勝記念や戦争で亡くなった人をまつる護国神社などにもたくさん植えられている。戦争イコール桜というイメージで嫌いだと言うのだ。そんなことからソメイヨシノ桜を毛嫌いする人も多いのだ。それに朝鮮半島では日本をイメージするソメイヨシノ桜は戦後切り倒されたという。確かに戦争と桜のイメージはなぜか密接な関係がある。だから他の国にソメイヨシノを植えようなんて事や嫌がる人に桜を押し付けるような事はしたくない。それに 私は「桜イコールソメイヨシノ、ソメイヨシノイコール権力がある中央東京」の考えの方が大嫌いで「人間イコールこうなりなさい」と言う枠組みのような気がする。変わっていて当り前で、桜がみんなおんなじ花を付けるわけがないじゃないか。みんながみんなお江戸を向いていてどうすんだ。それがわからんとは、ホンマあほなんじゃないの。

  おもしろいのが、その「ソメイヨシノ」でもご近所なのに咲く時期が毎年違うのがいる。ほんとは、どちらかが進化したソメイヨシノやと私なんかは考えるのですが(なんの根拠もありませんから真にうけんとってください)。私の住む神戸ではもう散りはじめているのに、さぁ今から満開というのがお隣りの明石公園の桜。お花見に行けなかった人のための「リベンジ桜」とでも名付けようか、すこし満開が遅い。もともとは喜春城の美しい春の名をもつ明石城の城址公園。大きな公園に約二千本の桜が咲く。城跡には巽櫓と坤櫓が残るだけだが、野球場もある広い園内は至るところに桜が咲き散策とお花見宴会の場所には事欠かない。

*このページの製作年は1999年、データ内容は当時のものです*
剛の池の周辺は桜が多くまたボートに乗ってのお花見も楽しめる

 

 


撮影は1999年4月14日
場所
兵庫県明石市明石公園 
交通
JR山陽本線明石駅下車北へすぐ 
問い合わせ先
 兵庫県公園協会078-912-7600

 

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