長野には2本の孤高の桜の巨木がある。ひとつは素桜神代桜、そしてもうひとつはこの樹齢約1000年の上伊那郡箕輪町の「中曽根の権現櫻」。威風堂々と言う言葉がぴったりの桜で、根元あたりからふたつに分か、まるで二本の大樹のようでもある。根元は空洞化したりしているが、樹勢は力強い。その姿とは対照的にちっちゃな社に権現さまが祀っられている。よくぞ千年もの風雪に耐えてきたもんだ。桜の隣に住む陽気なお爺さんが「私が子供のころもこの姿やった」と言いう。これからもずっとこの姿なのだろう。誰が桜を守ってきたのかはわからないが、きっとこのお爺さんの先祖が代々大切にしてきたことなのだろう。戦争の時にも切られず、大切に残ったわけですから。
桜の巨木を観て感じるのは、この桜のように個人やその桜のまわりの人たちに大事にされて千年も生きてきた桜と、前者の神代桜のように神社やお寺の庇護のもと大切にされた桜があるというだ。同じ千年でも、全く違う歴史がそこには有るような気さえ私にはする。ミレニアムともう21世紀が来たかと勘違いするほどばか騒ぎする暇があったら、こんな桜をめでて彼のたどってきた千年の歴史を考えることの方がいくらか心の糧となると思う。本当はどこにでも有ったかもしれない桜の巨木。しかし大切にされず、残らなかった。また九州や中国地方は台風にやられてしまうことも多かった事だろう。私たちはこんなにも歴史深い自然の美しい、また厳しい日本に住んでいるのに、こんな桜の木一本とっても古いものを大切にしないのは何故だろう。大切にすべきものがなにかという考えが狂っている。
ここに道路が通れば便利になる。プロセスカットして時間と経済を優先する。おかしいですね。優先されるべきは人間であり動物であり自然であるはずなのに。クルマの邪魔だからと美しく枝垂れた枝を無残にも切り落とされた枝垂れ桜や切り倒された桜たち。考え方の中心をもういい加減に変えたらいいのにと思う。
阪神大震災から便利なことはあまり良いことだとは、私自身は考えなくなった。しかし、役人たちは神戸空港などといまだにハコモノ、土建屋精神だ。地震以降いろんなものが手に入りにくかったですが、周りの人間が手を合わせばどうにか成ることもよくわかりました。お風呂にも困りましたが、地域の銭湯が活躍しました。人ひとりではライオンに負けますが、3人4人だと勝ってしまう。そんな原始時代では当り前のことが、この時良く解りました。何かしら知恵が出てくるものでした。大阪や京都に仕事に行くのは大変でした。今ではウソみたいですが、線路が繋がっておらず、交通
手段がなく、みんな歩きました。毎日何時間も歩くのはたいへんでした。便利にならされて、歩くことを忘れていたからです。道ひとつわかりません、それが歩くうちに知恵がつき、いろんな手段を思いついてゆく。それで足腰鍛えられました。そのおかげでどんな山奥に咲く桜や大きな木にも最近は苦にせず会いに行けるようになりました。
*このページの製作年は1999年、データ内容は当時のものです*