はじめてこの地を訪れてこの桜を見に行こうとした時、登山口が見つからず農作業の人に聞いた。この町の人はこの桜の事は良く知っているらしく「今日くらいが満開よ」とうれしいことを言ってくれた。人はこう言われるとたとえ満開ではなくても残念にも思わず、またそれまでの道中を難なく苦もなく過ごすことが出来る。人の言葉はそれほど、ちょっとしたことでも意味を持つ。だから、人と話すことは楽しい、特にこうした旅の途中は。
「ようこんな不便なところまで来たなぁ」と親切に山に上がる道筋を教えてくださった。そしてたぶん農作業の合間におやつに用意したのであろう中国山地地方では名物のハッサクみかんを「これ山で食べな」と一個貰った。
山を登ること1時間ほど、急に視界が開けたかと思うと、ドデカイ木が山の上に現れた。樹高20メートルもある木で、真っ白い花をつけるエドヒガンの老木だ。樹齢は千年以上と言われる巨木だ。一説にはそんなに古くないと言うが、この豪雪地帯でこの幹の太さなら千年は軽く超えているのではないかと私は思う。樹齢と言うのも、はっきりしない部分が多い。それはそうだ、千年前の状況を一体なんで知るというのだ。その時代に生きていて、この木を知る人が入れば判るが。それに木は暖かいところと寒いところでは同じ種類の木でも成長の度合いが違う。寒いところの木は締まっていて、同じ年数なら細いとされる。しかし、寒いところでも日当たりが良かったりすると良く育つ。そのかわり木材としてはしゃんとしないとも言う。当り前の話だが、しかし画一的なモノが良しとしている今に世の中ではそれも通
じない。なんでも同じがよしとされる。実際のところは同じに見えるだけで中身は違うのだが。また樹のように個体差の方が、男女差や年齢差よりも大きいことにどうして気づかないのか。
兵庫県は変化に富む気候の地域で、この大屋町は神戸・姫路などの瀬戸内海の温暖な気候とは違って中国山地の東の端に位
置するため冬は積雪も多く、山奥深い。もちろんこのあたりは冬場はスキー客でにぎわう。その日は、私のすぐ後に禅宗の坊さんが山を登ってきて、ひとしきり感心して誰に聞かせる訳でもなく「散る桜、残る桜も散る桜」と言い放った。坊主は上手く言うなと感心した私だった。それにしてもその場にあまりにもぴったりな歌であったからだ。しかし、後から文献で越後出身の良寛和尚の辞世の句と知った。
出会いとは不思議なものです。私が桜の木を観て歩くようになったのがこの木との学生時代の出会いからです。仙人のように霞がたなびく山の高い所に4月中旬ごろひっそりと咲く姿は美しいの一言。
この桜の巨木も 近年樹勢が極度に衰えてしまい、1998年大規模な樹勢回復の処置がおこなわれた。周りに木をおおうようにジャングルジム囲いをしている。はやくあの不死鳥のごとく甦った根尾の淡墨桜のように、このころの勢いを取戻して欲しいと思うのは私だけではないはずだ。ジャングルジム囲いのなか樹勢を取り戻しつつある姿を近いうちにデータアップします。
*このページの製作年は1996年、データ内容は当時のものです*