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おばあちゃんへのおみやげは
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岐阜県の根尾谷淡墨桜 |
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私はこの桜にはじめて出会った20代のなか頃、雨の降る中見ていたご老人が何かしらしゃがみ込んだ。気分でも悪くなったのかと、撮影の手を止め近寄ると、このおじいさん一生懸命散った花びらを集めている。そこへ河童のような風体の若者がよってきたのでビックリしたのか、後ろにコロリンと行きそうになった。
「ばあさんへの、おみやげさ」そう言って、また無心に手帳に花びらを挟み込んだ。桜は人の心を和ませ、そして優しくさせる。そのことが好きで、私は桜を撮影するようになった。人の思いとはこんな事からはじまる。 そのつぼみは淡い紅色が幼子のほっぺたを想像させる。しかし満開に近づくにつれ白色に変化する。そして散り際には薄墨色を帯びるから不思議だ。古くからこの「淡墨桜」の名前がつく。漢字で書くとなお一層その淡い色つやが表現されているようで、私はいいネーミングだなぁと感心する。 人々に大切にされ今なお岐阜県の山奥深い根尾谷に1本咲く巨樹だが、大正初期には大雪にみまわれ、木は枯れた状態だったものを昭和24年238本もの根継ぎで生命を取り戻した。その手術はたいへんな仕事だったという。そして樹勢が戻ったのもつかの間、伊勢湾台風で再び樹勢は衰えた。その直後訪れた作家宇野千代さんの尽力もあり、人々の手で厚く守られた老桜は再び不死鳥フェニックスのごとく甦った。幾度もこうして生延びた桜と言うことで、人気になり訪れる人も多い。 人の手が良いほうに加わると、桜でも人でも元気になるもんだ。ダメだ駄目だと言われれば、イヤにもなろうが、みんなから元気になれよと声を掛けられれば樹もそれにこたえるから不思議だ。樹齢約1400年以上、大和時代(西暦510年頃)継体天皇のお手植えの桜と言う言い伝えがあるらしが、なんの文献?に載っているのかわからない。山高神代桜の次ぎに老木の桜と呼ばれている。この桜は今でも四方に枝をのばして、大きな桜の姿を残しているので人気もあるのだろう。 *このページの製作年は1996年、データ内容は当時のものです*
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写真は1996年4月17日撮影満開 |
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山高神代桜についで日本で二番目の老木と言われている淡墨桜。 | ||
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