|
||
阪神淡路の地震のことも 夢幻の如くなり
|
||
桜の神戸の隠れた名所須磨寺 |
||
私にとって神戸でなじみ深い桜と言えば王子動物園の桜であり水源地の桜であり、そしてここ須磨寺の桜だ。須磨には全国的に有名な須磨浦公園の桜など桜の咲く場所が随所にあるが、須磨寺は中学生頃よく遊んだので私にとっては桜の名所だ。須磨寺はここから潮見台につづく道にも桜並木があり、散歩するにはいい。地震以降町並みも少し変わってきたが、お寺の周辺はあまり変わりない。そのむかしはプールが須磨温泉池に有ったが今はない。須磨寺には霊泉が湧き、その温泉がある。桜の季節はご覧のように出店が出るのが嬉しい。池の周辺の子どもが遊ぶ広場にも桜の時期はもうせん引いた茶店もでる。むかしも今も子どもの遊び場所には変わりなく、少子化時代と言われるがこの池の周辺には子どもがいる。先日中学時代の同級生にあの池で泳いだことがあると言ったら「あほちゃう、なんで須磨の海まで行けへんの」と驚かれた。確かにそうだ。中学生の時は自分は大人だと実感していたが、今から考えたら子どもである。手短に済ませて、後先のことなど考えていない。若いなんてこんな失敗の連続なのだ。 須磨寺・福祥寺はだれでも知ってる平敦盛の青葉の笛や弁慶の鐘などがある源平ゆかりの土地だ。地元民であるが故、平敦盛のことはなんども聞かされ耳に明石のたこがすんでる状態だが、須磨一の谷の合戦(1184年)で熊谷直実(1141年-1208年)は平敦盛(1169年-1184年2月7日)と相対し彼の首を打つのだが、なんと彼の腰に指してあったのは刀ではなく笛であったという。そしてよく見るとまだ15才の若造だったのだ。平家物語には熊谷直実は敦盛を討ち人生の無常を感じて出家したとある。須磨の桜のもうひとつ名所須磨浦公園には敦盛塚がある。阪神淡路大震災の際に倒れていたのだが、いまでは直っている。地震以降須磨寺の門前町もかわったとはいえ、まだまだ風情が残る。一度だまされたと思ってお花見あれ。 *このページの製作年は1996年、データ内容は当時のものです* |
||
|
||
須磨のお大師さんの名で親しまれている須磨寺は886(仁和2)年に建立
|
||
|
撮影 |
|
本ホームページに掲載の文章・画像・写
真等には著作権があります。
|