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さくらは花びらおほきに、
葉の色こきが、
枝ほそくて 咲きたる |
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世界遺産の岐阜県白川郷の桜 |
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岐阜県は山深い山また山の県だ。それゆえ、昔のまんまの姿が残っていたりする。大学1年の頃長い間旅したのが高山から古川、白川だった。小学生の時、社会の教科書で見た写
真の雪が積もったときは二階から出入りする合掌造り民家、実物を見てその大きさに驚いたのだ。大きな家だ。そしててかてかした柱が重厚な感じがした。お百姓さんは貧乏だったと言うが、これを見てそんなことはない、と言うのが僕の素直な感想であった。世界遺産に指定されまた訪れる人が増えたという。私も久しぶりに合掌造りのあの民家を見に行こうと思い立ち、それならと桜の季節にと訪ねてみた。 ソメイヨシノやヤマザクラ、そして少し遅く咲く八重咲きの桜やめずらしい桜もある。桜の絵で知られている太田洋愛画伯が愛した本覚寺のオオタザクラは有名だ。しかし、ここでは桜よりも合掌造りの民家の方に目がいってしまう。それもまたよし。このあたりには隣とのさかいを分ける不愛想な塀と言うものがない。茅葺きの民家の庭先に咲く桜、そうか一昔前の日本の田舎では当たり前の光景だったのか。塀の高さしか目に付かない、最近の都市部の民家。そして庭なんか見えもしないし、花の無い光景は、殺伐としてあまり人に優しい雰囲気とは言えないと私は思うのだけれど。 そう言えば花の咲かない公園なんて、どこが公園と呼べるのか。役人の情緒の無さに地震でつぶれた神戸の町を見ながら考えた。人工物で固められ、自然の光景が全く無い。花が有っても、それは毎月植え替えられるようなプランターの花、これなら生け花のほうが良いと私は思ったりする。こんなものを自然といまの人間は呼ぶ。これなら生け花のほうが生ける人の心がまだあるから自然だ。花が散るころ次々と変えられるプランターの花、その用が済んだ花たちはいったいどこに消え去るのか。お金イコールプランターの花だと私は考えている。花の散る姿すら見れない、それが有るから花のさかりがこんなにも人の心を揺さぶるのとちゃうやろか。こんなところから人間の心がすさぶのとちゃいますか。 十数年ぶりに訪れた花の多い豊かな光景の白川郷を歩きながら、そんなことを考えた。花も花が付いている時だけ大事にされても、悲しいものだ。 *このページの製作年は1999年、データ内容は当時のものです* |
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世界遺産の合掌造りの民家に遅れてきた春を 謳歌するようにあちらこちらが春色に染まる。 |
撮影1999年4月23日
場所 岐阜県大野郡白川村 交通 長良川鉄道美濃白鳥駅から 鳩谷行きバス約2時間、 萩町合掌集落下車すぐ 問い合わせ先 白川村役場05769-6-1311 |
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