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(C)Copyright Mac Fukuda2013 |
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今ごろの遠足は目的地にむかって一直線で、ひたすらいそぐと聞く。なんでや、と思う。景色を眺める余裕もなく、あぁあれなんやとか、あそこで立ちションしてるおっさんおるで、なんてことを見ないらしい。コースは決まっていて、迷う楽しみは奪われているらしい。これも子どもが事故にあわないようにとの責任回避かららしいが。 しかし、事故は起こって当然と言う考えは起こらないのだろうか。私は小学生の修学旅行で救急車で病院へ運ばれた。でも、なんて事はなく病院での道草は面白かった。話しがそれこそ横道にそれて道草喰ったが、大急ぎで目的地に着いても、目的地に着いた事実はあっても、あとにはなにも残らない、それがなんでわからんのやろか。何かをすれば、何か事件が起こることはあたりまえで、それが楽しいから遠足とか旅があるような気が私はするのだけれど。 同じことはツアーの旅にもいえる。大急ぎで目的地へ行って帰ってくる。これじゃぁ、なにも残りやしない。そんな気が僕はする。多少はお金もかかり、時間もかかるが、自分で行動して適当に横道にそれて道草を楽しみながら、結果的には目的地に着いている。そんなほうが楽しくてトクなのだ。なんでもプロセスカット。 そこへ行く手段が誰かにお仕着せで決められた旅なんて、本当の旅ではないんだ。少なくとも、そんな恩着せがましい、こうすればよくなる!こうすればアナタもアジアの達人!これでアナタもなんてのは、はいはいと聞き流して、ひょいと横道にそれるような旅をする、そんな方が旅人らしいのだ。またその地で出会った人と一緒に旅したりそれがいい。 人が旅する理由のひとつにいつか観た映画で知ったあの町に行ってみたいというのがある。なぜそれだけを大切にしないのだろうか?フーテンの寅さんは旅をするのが仕事だ。寅さんの映画を観て、あぁこの町に行ってみたいと大学時代旅したこともある。このページまずご覧になって「なにこれ!?なんでアジサイとちゃうの?」と思われた方もいるだろう。このアジサイを観に行く途中に私はこの場所にたどり着いてしまった。その場所も今はもうない。 この場所とは鎌倉にある大船撮影所にあったシネマワールドだ。そのあと紫陽花寺という別名で有名な北鎌倉の明月院を訪れた。それはさだまさしさんの「縁切寺」という歌のなかで歌われているアジサイ寺を一目観たかった、ただそれだけからだ。しかし鎌倉には、やはりサザンオールスターズのほうがよく似合う。北鎌倉の駅でたくさんの女子高生に囲まれながらそんなこと考えた。数千株のアジサイが美しく咲く境内はよく手入れが行き届いていて美しい。北鎌倉は京都の嵯峨野に似てるなと思った。落ち着いた雰囲気のステキな町だ。山の花のイメージの強いアジサイだが、もともとは海岸の花でアジサイの名所の鎌倉も六甲も海に臨んだ場所だ。 アジサイ寺と呼ばれるお寺さんはたくさんある。京都には宇治にアジサイ寺がある。そんなアジサイは日本原産のガクアジサイを母種とする園芸品種として開発された青や赤の花が多いもの。アジサイは土質や開花後の日数などで色みが青が濃くなったりする。ただその色を人為的に変えることはむずかしいという。なんでもこうしろと言われてそうなれるもんではない、それが自然なのだ。 アジサイの花言葉は「移り気」、日本原産のこの花に魅せられてヨーロッパに紹介したのがオランダ学者シーボルト。「ヒドランジア・オタクサ」と名付けられた。その「おたくさ」は彼の日本での恋人であった楠本滝さん、通 称おたきさんからとったと言われている。 北鎌倉紫陽花寺JR北鎌倉駅からとほ約10分。無休。問い合わせ先0467-24-3437・明月院 ※初掲載1998年5月 、データは当時のものです |
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