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 桜の木で巨木となり有名になったり、その桜を植えた人が著名であったりして有名な桜もたくさんある。そんな桜をたくさん観てきた私ではあるが、結婚を決めた年の春出会ったこの桜にはことのほか思い入れがある。全国的に有名な桜でもない。樹齢100年にも満たない。でもすてきなのだ、夢もあるのだ、これからの桜なのだ。そこがいいのだ。その名も「双子の桜」こんなメルヘンの世界がぴったりな桜もないだろう。なまえからしてステキなのだ。

  その美しい名前の由来はこの桜をよく観ていただいたらわかる。2本の桜の木が寄り添うようにして立っている。しかも、この地は山の中腹の少し平らな所なのだ。その吹きっさらしの場所に、寄り添うように育っている。しかもここは北の大地。厳しすぎる自然の中だ。厳しい北の冬にも負けず、ただ春になると花をつけるために咲く双子の桜。左の太い男性の木が右の細い女のコの木を囲むように守っているように、私には見える。もしかすると守られているのは逆かもしれない、そんなことを考えてしまう桜なのだ。

  樹木がこうしてふたり寄り添うように育つ事はまれに色々な樹で見かけられることだ。発芽して育っていくはじめのうちは木はそれぞれが、我先にと土の栄養分を取り枝を他人の木の領域まで伸ばしていく。しかし、それは仕方ないこと。そうしなければ若いうちは生きていけないのだ。しかし、あるときをさかいにして、木たちは考える。こんなことをしていたら、ふたりとも共倒れだと。そしてこの双子の桜の木のように双方が生きていけるように、まるでかばいあうかのように枝を伸ばし、根をはるのだ。

  大切なことはひとつなのかもしれない。それは自分の力でなんとかひとりの人を守り、そして花をつける。子孫繁栄のために。この桜の木の写 真を観ると、いつまでもこの姿で大きく育つことを願うのだ。桜はアイヌ語で「カリンパ」と呼ぶ。

  自分さえよければいいと言うのは大のおとながすることではない。それはこの桜を観れば良くわかる。となりの桜の樹とも成長しながら生きていく。一緒に生きていこうとする、そんな姿が厳しい自然界で生きていく人間にとっては必要なことちゃうやろか。パートナーは人には必要なのだ。まだ私たちが言語も持たなかった時代に、私たちの先祖はひとりで野獣のヒグマやライオンなどに立ち向かうのは無謀だが、人間数人寄ればヒグマやライオンにだって立ち向かえるとパートナーシップを組んだ。そして、そんな単純だけれど、あたり前のことを大切にまもってきたのではないか。
※初掲載1998年2月 、データは当時のものです
 

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