関西学院大学KGB総部放送局創部50周年記念の集い!当日風景パート2
2001年12月2日
当日風景パート3へ









「みなさま、ご歓談のほうがたいへん進んでいる様子ですが、しばらくはステージのほうをご注目ください。

 ただいまから本日のアトラクション第1部、我らがkGBの創世記に大活躍され、関西学院大学総部放送局50年の歴史の基礎を作られた大先輩の方々にご登場いただきます。

  題して『懐かしのOBOGおおいに語る』それでは大先輩のみなさまご登場いただきましょう。そしてこのコーナーの総合司会は我らが大先輩11期の小山乃里子さんにおねがいいたします。それでは皆さまどうぞよろしく」


「朝日放送ラジオで『歌はおまかせ小山乃里子です』を毎日担当しております、KGBうん期の小山乃里子です。大先輩と言うほど大先輩でもありません。今日の司会の彼らよりほんの少し先輩なだけです。

  ここにいらっしゃる方々は私なんかより、もっともっと大先輩のKGBを創り支えてくださった諸先輩がたです。1期の大鳥高義さん、宇多美智子さん、2期の南健仁さん、山本一男さん・・・。

  創部の頃世の中は、NHKラジオから今かかっている「君の名は」が流れていた頃 、昭和26年(1951年)は、民放ラジオの生まれた記念すべき年です。関学で も非常に未来のある放送を研究してみようと構内にポスターを張り放送部員を募集、 昭和26年10月〜11月にかけて集まった7人のメンバーでKGBが発足しました。女性は 宇多さんおひとり。彼女は女王だった(笑)。

  翌年昭和27(1952) 年演劇研究会の協力でこの部は何をやっているのか?を中央講堂でデモした時のポ スターがこの写真。『中央講堂クイズヴァラエティ、構成関学放送研究会、演出KGB2期の山本一男』。ラジオ神戸公開録音とありますが、ラジオ神戸は現在のラジオ関西AMKOBE。阪神淡路大震災で神戸新聞ビルに移りましたが、当時は須磨海岸が見える須磨浜にありました。この模様はAMラジオの番組としてオンエアーされたんですね」


  1951(昭和26)年10月関西学院大学にKGB放送局の前身「放送研究会」が産声をあげる。このとき文芸、報道、技術にわかれていた。まだ部室すらない時代、そのルーツは関西学院時計台下からはじまった。1952(昭和27)年日本の民放としてはじめて電波を発信したNJB新日本放送、MBS毎日放送の前身で1期岡田美智子、2期南健仁が報道部員としてレギュラー出演をしていました。


「局員が集まるための部室すらない状態から、活動のためにもっといい環境を」と文化総部傘下の部に昇格を模索。全学自治委員会へ部員が参加、放送部への基礎作りをしていたのがこの写 真の時代。民間放送もはじまったばかりの放送黎明期、大学の放送局が自前のスタジオを持つなんて夢のまた夢の時代でもあった時代です。

















今日、上ヶ原にて各期別 記念写真撮影50周年トップ へ戻る

 

     本ホームページに掲載の文章・画像・写 真等すべての
コンテンツの無断複写・転載を禁じます。
2010年2月26日 変更
©Mac Fukuda